デジタルでは得られないアナログの味わい

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。…そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 13章11節

國安光によるメッセージ

新型コロナウイルスによって、私たちの生活はますますデジタル化が進んだように思いますけれども、その中で最近アナログブームがあるそうです。音楽だったら、あえてレコードで聴く。手間はかかるんだけど、レコードならではの雑味のある独特の温かみを感じられるのが、人気なのだそうです。

写真についても、スマホでフィルムカメラのような体験をするアプリが人気なのだそうです。フィルムカメラですので現像する時間があって、撮影した次の日にならないと見れないそうで、そのドキドキ感と独特の温かさのある写真が人気なのだそうです。

デジタル化が進む中で、少しでも人のぬくもりを感じたい、あえて時間や手間をかけて、非効率なんですけれども、そこで温かみとか、豊かな実感を得たい、そういう求めが出てきているのだそうです。私もデジタルは不得意ではないのですが、なんかわかる気がします。

そういえば私のアナログブームがあります。ラジオ体操です。私は毎朝ランニングをしていました。イヤホンをして、音楽を聞きながら、一人で約1時間走っていました。ある時に、偶然、教会に来られている方と出会いました。近くのラジオ体操に行かれるということでした。私もせっかくなので、ご一緒したわけです。

ラジオ体操は、私が牧師になる前、神学校でして以来ですので、15年ぶりでした。私は運動することは好きですが、ラジオ体操は、そんなに好きではありませんでした。中学・高校時代、ラジオ体操の時間がありましたけれども、楽しいと思ったことは一度もなかったんです。

そんな私ですけれども、知り合いと一緒にラジオ体操に加わることになりました。そこには数名の方々がおられ、バリバリ音があるラジオの音を聞きながら、音に合わせて体を動かしました。懐かしいな〜と思いながら、とりあえずやってみたら、意外と体が覚えていました。終わってから一緒に体操した方から「また来てくださいね!」と言っていただきました。まあでもこれで最後かなと思いました。

次の日、早朝ランニングに出かけたら、たまたままた前の日に会った教会の方と遭遇したんです。それでまた一緒にラジオ体操に加わることになりました。積極的に誘われたわけではないんですけれども、昨日は体が覚えていることがわかったので、とりあえずまた一緒にすることになりました。こうして次の日、また次の日と、結局同じコースを行っていますので、ほぼ会うわけで、会うたび私はラジオ体操に加わりました。

それから結局、今までほぼ毎日、ラジオ体操をしているわけですけれども。最近では、ある方から嬉しいことを言われました。「後ろで見ていて、すごくジャンプが高くて、いや、すごいな〜と感じます。いいものを見させていただき、ありがとうございます!」いやいや、ラジオ体操で褒められたことは人生で初めてでした。後ろ姿だけで元気を与えられたと思ったら、なんだか嬉しくて、私は(褒められると)調子に乗るタイプなので、モチベーションが上がってしまいました。

そういうわけで今私は、ラジオ体操のために、朝起きるようになりました。ラジオ体操で感じる雰囲気とか、温かみがやみつきになってしまったんです。一人だったらきっとやめていたと思いますけれども、一緒にしてくれる方がいたおかげで、あまり得意ではなかったラジオ体操が、段々と生活の一部になってきました。

思えば、信仰生活もどこかそれに似ているところがあるかもしれません。イエス様を信じて生きるということは、自分一人で信じているだけだったら、続かないと思います。何か困難があったら手放してしまう可能性があります。聖書を読んでわからないことがあったら、もうやだとなってしまうかもしれません。信仰の歩みが始まるには、誰かが一緒にいてくれないと難しいと思います。

私は学生時代に、信仰を本気で求めて教会に行ったことがありました。自分一人で求めて、誰とも関わらずにいたら、やっぱり行かなくなってしまいました。聖書も読まなくなってしまいました。でもやがて再び教会に行った時に、同い年くらいの友達ができて、いろんな話をしたり、声をかけてもらったりする中で、信仰の歩みが続くようになっていきました。つらいことがあった時も、一緒にいてくれる友が励ましてくれたので続きました。

聖書には、「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。…そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」とあります(コリントの信徒への手紙二13章11節)。信仰の道を歩む人々に、「励まし合いなさい」。そうやって、「愛と平和の神があなたがたと共にいることを覚え合うように」と言われています。励まし合いながら、教会に通う、礼拝をささげる、聖書を読む、祈る。それを続けていく中で、信仰が深めてられていきますので、そのように勧められています。

聖書の時代は、アナログです。でもデジタル化が進む中だからこそ、私たちは今、聖書からたくさんのことを教えられるように思います。人が生きる上で本当に必要なこととは何か、教えられます。信仰は、人との出会い、関わり合いの中で、神様の愛と平和を感じながら歩んでいくものです。S N Sではそれは得られないんです。あなたも体温の伝わる言葉、関わりの中で、信仰の喜びを味わいに、教会にいらっしゃいませんか?

関連する番組