神と共に歩む幸い

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聖書の言葉

エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。

旧約聖書 創世記 5章24節

金原義信によるメッセージ

今日は、創世記の4章から5章に記される系図をもとに、「神と共に歩む幸い」という題でお話いたします。聖書の最初に出て来る夫婦はアダムとエバで、その子ども達がカインとアベルです。兄のカインは弟アベルを殺してしまいました。そして神様のもとを去って行きました。その後カインの子孫が系図として記されます。カインは町を立てますが、その町の名前を自分の息子にちなんでエノクとつけました。そしてこの系図にレメクという人が記されます。このレメクは剣で力をふるい、自分に逆らう者は容赦しないと豪語した人物です。

さて、アダムとエバの間には新たにセトという子どもが生まれますが、聖書はその後5章からこのセトの子孫を系図で記していきます。そしてこの系図はノアに至ります。

ところで、セトの系図を読んでいきますと、大きな特徴があります。5章6節~8節「セトは105歳になったとき、エノシュをもうけた。セトは、エノシュが生まれた後807年生きて、息子や娘をもうけた。セトは912年生き、そして死んだ。」。この後も同様に誰々は何歳になったとき、誰々をもうけた。誰々が生まれた後、何年生きて、息子や娘をもうけた。何年生き、そして死んだ、という形で系図が続いていきます。

九百何年、八百何年、七百何年という大変な長寿が記されます。そんなことがあるだろうかという議論はここでは致しません。とにかくとても長い年月生きたということが記され、それぞれの最後は「そして死んだ」と繰り返されています。さらに29節では「われわれの手の苦労」とあります。つまりこの系図は、このような長い期間の歩みを、長く人生の労苦が続き、結局死んで終わるという意味で記しているのです。長い間額に汗して働き、産み、労苦し、そして土に帰る、その繰り返しとして描いています。骨折り働く苦悩の人生、慰めが欲しい、そういう人生として表現しているのです。

そんな中で一人の人が記されます。それが5章24節に出て来るエノクです。カインの息子にエノクという人がいましたが、こちらはセトの子孫のエノクです。セトの子孫のエノクは、カインの息子のように、自分の名前にちなんで町に名前がつけられるといったことは書いてありません。しかも彼は365年生きたとあります。これでも私達からすると長いのですが、セトの系図の他の人達と比べると随分短いのです。800年とか700年を超える人達の中で、その半分ほどしか生きていないのです。そういう意味ではとても地味で、何を残したかわからないような人です。

しかしこのエノクに関しては「神と共に歩み」とあります。彼の人生は神と共に歩む人生だったというのです。そしてその最後は「神が取られたのでいなくなった」。彼の最後については「そして死んだ」ではなく「いなくなった」と記されています。どうしていなくなったのかというと、神と共に歩んだのだから、神が取られたのだ、という他はない、そんな周囲の人達の驚きが読み取れるのです。いなくなったその空席についての驚きは、カインの子孫に出てきたあのレメクについては記されません。剣でみんなをおどして支配したレメクがいなくなっても、周囲はむしろほっとしたのではないでしょうか。

これに対して神と共に歩んだエノクの生涯は、短いものでしたけれど、周囲の人々の目を天に、すなわち神様に向けさせたのです。私達が生きているときも死んだ後も共にいて支えて下さる神様に、人々の心を向けさせたのです。その意味でとても大きな影響・足跡を人々に残したのです。

ヘブライ11章5節「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。」

ですから、私たちにとって豊かで意味深い人生とは何か。それは神と共に生きる人生である、そう聖書は語るのです。地上の労苦を神に支えられ、神に喜ばれて生きる。さらに、やがて天の御国・もはや死もなく涙もないところで永遠に神の祝福の中を生きるのです。それが神と共に生き、神に喜ばれ、神に取られる幸いな人生です。

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