おばあちゃんが残してくれたもの

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聖書の言葉

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13章13節

國安光によるメッセージ

わたしはおばあちゃん子でした。生まれた時から、ずっとわたしの近くにはおばあちゃんがいるのが当たり前でした。おばあちゃんとは幼少期から同居していました。おばあちゃんと孫、その関係の中で育んでいただいたことは、わたしの人生に大きな影響を与えてくれました。

少年時代、家の中で、番安心して過ごすことのできたのは、おばあちゃんの部屋でした。学校から疲れて帰ってきたら、おばあちゃんの部屋のこたつにもぐり、テレビを見ながらダラダラする。おばあちゃんは何に言わず、ただ一緒に時間を過ごしてくれました。

両親は嫌がっていましたけれども、何も言わず、ただじっと一緒にいてくれるおばあちゃんとの時間は、その当時の私にとって、本当に居心地がよかったんです。いろんな嫌なことがあって、傷ついても、自分が受け入れられていると感じられる場所でした。

昨年、そのおばあちゃんの看取りと葬儀をしました。その中で、おばあちゃんがどのように生きてきたのか、また何をわたしに残してくれたのか、牧師としてその一つ一つを辿り、思い巡らす中で、大切な気づきを与えられました。

葬儀の説教を準備するために、わたしはおばあちゃんの生涯を母から聞きました。おばあちゃんは長女であり、兄弟たちを母親がわりになって面倒を見ていたこと。娘が生まれ、その娘を一人で育てていたこと。田舎から東京に出てきて、一生懸命働いていたこと。

孫として見ていたおばあちゃんは、いつも家でのんびりしていて、猫の世話をし、孫が来たら優しく迎え、時々面白いことを言って笑わせてくれる、おばあちゃんでした。都会に住み、通勤をし、バリバリ働いている姿など全くイメージできませんでした。

どうやらそれはわたしの孫としてのイメージであって、わたしは今年で37歳になりましたけれども、同じぐらいの年齢の頃は、都会で小さなアパートに住み、娘を育てながら、毎日働きに出ていたと聞きました。55歳で定年退職を迎えるまで、そういう生活をしていました。

わたしが生まれる前のおばあちゃんは、スーツを身にまとい、電車に乗り、働いていた。さらに一人で育児をしていたんです。私が生まれた時に、これまで身につけてきたキャリア、人間関係、住む場所、あらゆるものを、捨てたのだと思います。

いまでも忘れません。天に召される前に、一度もうその死が近いと、医師から告げられ、最後だと思い、会いに行ったことがありました。おばあちゃんは認知症が進むとともに、あまり喋らなくなっていました。食欲もなく、身体も弱く、小さくなっていました。

きっと私のことを忘れているかもしれない、そんな思いを抱きつつ、家に着き、おばあちゃんのところに行きました。すると「お〜、ひかちゃん、元気か〜?」と迎えてくれました。しばらくして「ひかちゃんがきたから、くよくよしてちゃだめだ!」と言ってから大きな声で「エイエイオー!」言ったんです。

その出来事を通して、私は改めて思いました。きっとおばあちゃんにとって孫の存在は、人生後半の生きがいだったのだと。孫のために、いろんなものを捨てることができたのは、本当に孫を愛していたからだと。孫と過ごすことがそれぐらい嬉しかったんだと思います。

おばあちゃんは私に大切なものを残してくれました。愛です。無条件の愛です。ただ一緒にいて、何も言わないで時間を過ごしてくれる。そんな居場所であり続けてくれたおばあちゃんの存在が、私の人生の大切な部分を形づくってくれました。

私の大切にしているみ言葉の一つに、「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリント信徒への手紙13章13節)があります。最も大いなるものは愛である。

聖書の愛は、自分の利益より、誰かの利益のことを考えます。愛は、自分ではなく、その人に真実が訪れるように、真実がなされるように願います。またそのことを喜びます。愛は自分ではなく、その人の未来を信じ、期待をします。

その愛は神様の思いそのものであり、また神の御性質そのものでもあります。主イエスが命をささげられた十字架に神の愛があります。その愛は、決して滅びることはないのであります。永遠に残り続ける、神様からの素晴らしい贈り物です。

おばあちゃんの葬儀の司式をすることを通して、この愛がどれほど素晴らしいものであるか、またかけがえのないものであるかを教えられました。神様がおばあちゃんを私に与えてくださり、主イエスの愛を教えて下さったのだと思います。

おばあちゃんにはなれませんけれども、でもおばあちゃんのように迷っている誰かのために、その誰かの未来のために、寄り添い、支え、神様が与えて下さった愛を指し示す存在であれたらと思います、

キリスト教にはやがて主イエスが地上に来られる日に、復活の命の中で、愛するものと再び会えるという希望があります。地上では会えないですけれども、でもやがてまた会える日が約束されていんです。おばあちゃんとまた会える、ここにも愛を感じます。

この希望のもとで、おばあちゃんが残してくれた愛を、大切に受け取り続けたいです。おばあちゃんとまた会える、その日まで、おばあちゃんが残してくれた愛を、神様の愛、を伝えていけたら、そんなことを思います。

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