おいしいブドウを作る秘訣

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聖書の言葉

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたはすでに清くなっている。

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章1~3節

國安光によるメッセージ

少し前に、家族とぶどう狩りに行きました。その農園には、数多くの品種のぶどうがあり、すべて無農薬で育てられていました。見るからに美味しそうな、たわわなぶどうがなっていました。ほっぺたが落ちるくらい美味しいぶどうをいただきながら、どうしたらこんな美味しいぶどうが作れるのだろうかと思い、農園の方にお話を聞いてみました。

「どのようにしてぶどうを作っているんですか?」すると、「まず収穫が終わったら、すぐに葉を捨てます。それから枝を剪定をします。」どうやら早い時期に、剪定作業をするかどうかが次の年にぶどうが上手くできるかどうかの大きな鍵になるそうです。

さらに「残しておいた芽から新しい枝が出てくるんだけど、この枝を捨てていく作業をするんです。これを芽かきと言いますが、それをすることによって、やがて実るぶどうの実同士の間にスペースを作ります。」

「それからやがて花穂(かすい)という房のもとになるものを整形します。花穂には1000粒くらいの実がありますが、これを減らしていきます。これをしないと、やがて実が大きくなった時にギュッとなってしまって、硬くておいしくない粒になってしまいます。」

これだけお聞きして、これは全部手作業でなされるわけですから、どれほど大変な作業かと思いました。こうして実が成っていくわけですが、最後に一番気合がいる作業があると言います。

「実ができてホッとしてはいらないんです。摘粒(てきりゅう)をしなければいけない。これは房に入りこんでいる粒を取り除いていく作業です。粒と粒との間にこうやってスペースを作ってあげると、粒が大きなった時に割れないで済むんです。そしてそれからは虫がつくので、虫を捨てていく作業です。」しばらくお話をしていると、やがて農園主が来られて、こういうことをおっしゃいました。「私たちの仕事は、一言で『捨て続けること』です!」

目から鱗でした。自分が食べた美味しいぶどうは、一年かけて枝から、葉から、実から、あらゆるものを捨てること、そして何よりそのために自分自身を捨て続けて来られた農園の方々の汗と努力があることを知り、感動してしまいました。

その時に、これは私たちの人生にとってもある教訓を与えてくれるように思いました。ぶどうを私たちの人生と考えてみましょう。人生というぶどうが、美味しい実をならせるようにしたいですけれども、では一体そのために何が大切なのでしょうか。

「捨て続けること」と農園の方はおっしゃいましたが、これは私たちの人生にとっても無視できない教訓ではないかと思います。思えば主イエスが私たちの人生をぶどうにたとえながら教えてくださっていました。「わたしはぶどうの木、わたしの父は農夫である。…農夫は実を結ぶものはみな、いよいよ実を結ぶように手入れをなさる。」

主イエスはご自身がぶどうの木であり、主イエスにつながっているなら、その枝、つまり私たちの人生はよき実を結ぶのだ。そしてそのためには、主イエスの父であられる神が農夫であるということが鍵です。その農夫が美味しいぶどうのために手入れなさるのです。手入れをするには、はさみが必要です。主イエスは、おっしゃいます。「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。」

農夫である神さまは、主イエスの言葉というはさみで、私たちのために手入れをなさるんです。主イエスの言葉で、ぶどうが美味しくなるために、捨てるべきものをお捨てるになるんです。神さまは、私たちの何を手入れなされるのでしょうか。

私たちは言葉によって生きています。良くも悪しくも、言葉によって心が形成されていきます。悪い言葉を、傷つける言葉を浴び続けるなら、心はしぼんでしまいます。欲望をくすぐる、まがいものの言葉は、心を細らせます。また私たちには罪という、生まれながらに悪い方へと傾かせていく傾向を持っています。枝を弱らせる細菌です。罪を処理しないと、ぶどうの枝に、木から届いてくる栄養が十分に行き渡りません。心が病んでしまうんです。

神さまは、私たちの心が豊かになっていくために。心だけではありません、全身が豊かになっていくために。イエス・キリストの言葉によって余計なものをお捨てになるのです。悪い言葉、まがいものの言葉、罪を、処理され、お捨てになるんです。美味しいぶどうをつくる秘訣、それは「捨て続けること」です。

人生に良いぶどうを実らせましょう。まずは主イエスというぶどう木につながることが大切です。主イエスを心から信頼しましょう。信頼をし、主イエスが語られる言葉に聴く、そうしたら必ず人生にまとわりつく言葉が、罪が、断ち切られていくはずです。こうして心が、命が養われていきます。育った実はやがて時いたって、たわわなジューシなーぶどうとなるのです。農夫であられる神さまが、イエスの言葉によって、私たちから余計なものを削ぎ落としてくだいます。捨てることを恐れる必要は全くありません。

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