苦しい思い

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聖書の言葉

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――

新約聖書 ヨハネの手紙一 1章1,2節

宇野元によるメッセージ

空と雲が友だち。山歩きが趣味。「パーティー」は嫌い。写真に撮られるのも嫌い。それでいて、とても人恋しい。相反する要素を自覚し、自分自身との関わりにおいても、人との関係でも悩むことの多い人であったようです。

ヘルマン・ヘッセ。その作品には、心の矛盾に悩む人物が登場します。『荒野のおおかみ』という作品があります。ハリー・ハラーという中年の男を主人公とする作品ですが、イニシャルが同じです。H.H。作者本人の分身のよう、作者自身の自画像のように思います。

ハリーは、世を捨てたように、ひっそりと暮らす、風変わりな人物として描かれています。孤独を愛する。しかしそれでいて、人恋しい心の持ち主。往来で昔の知り合いにさそわれると、不器用におめかしして出かけます。ヒゲそりが下手で、口の周りに血をにじませたりして。こんなところは、ヘッセの人となりとぴったり合うように思います。

その日の晩、知り合いの家で、ハリーは、自分の中で歯車が噛み合いません。知り合いがもてなしてくれるのですが、それにふさわしく応えることができません。なにか楽しくなるようなことを話そうと努めながら、うまくいきません。主人側も骨折っているのを感じて、すっかり沈んでしまいます。食後、こんどは別の部屋に移っての語らいのとき、彼はわきにあった小さな絵を手に取って、批判的な言葉を口にしてしまいます。それは知り合いの夫人がとくに大切にしているものでした。夫がそれを伝えると、さらに憎まれぐちを叩いて、外套をひっつかんで飛び出してしまいます。

喜んでしたわけではありません。彼は苦しい思いで夜の通りを走り回ります。悲しくみじめな気持ちで。自分に絶望して。よいことを願う自分がある。人を愛し、人と共に、豊かに、幸せに生きたい。その一方で、それとひどく矛盾する自分がいます。

心の思いと行動が食い違う。思いと言葉がバラバラになってしまう。相反するものが、内側と外側にある。どっちへ走り出すかわかならい。そんな悩みは、若い人がよく知る悩みであるでしょう。

そして、中年ハリーの苦しさは、いわば年季が入っています。中年になり、あるいはもっと年齢を重ねていても、こんな苦しさ、こんな悩みを、「年甲斐もない」と笑い飛ばすことは、だれもできないでしょう。思うように行動できない自分があります。たえず矛盾にぶつかります。理想と現実が食い違います。若くても、年齢を重ねても、健やかに生きることの難しさがあります。喜んで生きることを妨げるものがあります。そんな経験を重ねて、斜に構えたり、あきらめようとしながら、もがいている心があるでしょう。もがきながら、求める心があります。悲しみながら、憧れを秘めているでしょう。

そんな苦しさを知る私たちに、こう語られています。

「はじめからあったものを、伝えます。」これを受け取り、心に刻むように。喜びをもち、望みをもって生きるように。命の言葉を受けとりなさい。

「命の言葉がはじめからあります。すなわち、神がはじめにおられます。そして、私たちの歩みに付き添っておられます。この事実が、はじめから存在しています。」

「そして、神の顧みがあります。神の愛が付き添っています。なぜなら、この『初めからあったもの』は、イエス・キリストであるからです。」そう語られています。

矛盾と葛藤の中で、はじめからあるものを見ているように。はじめからあるものと共に生きるように。命の言葉に耳を傾けるように。

苦しい思いを、私たちはどこに置くことができるのか?

揺れる心をどう支えたらいいか?どこから始めたらいいか?どこに立ち帰ることができるのか?

はじめからあるものに。それは豊かな祝福。約束と勝利の言葉。命の言葉。

それはイエス・キリスト。この特別な存在において、私たちの思いを支えてくれる、隠れた事実が証しされています。

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