幸いについて

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聖書の言葉

いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。

旧約聖書 詩編 1編1,2節

李在永によるメッセージ

皆さんは何のために生きていますか?どんな思いをもって、今この放送をお聞きになっていますか。たぶん皆さんそれぞれの目的や動機があると思います。しかし結局人が自分のすべての営みを通して追求することが「幸せ」「幸福」であることは誰一人否定できないでしょう。私たちが朝起きるのも、顔を洗い、歯を磨き、学校や職場に行き、勉強したり働いたり、また遊んだり休んだりすることも、それらを行うことで幸せになれるか、少なくとも不幸にはならないと信じるからでしょう。人間の自殺の行為さえも結局それが生きることより幸せになれると思うからだという哲学者もいます。人間にとって幸福は自由と同じく、人間の主な権利として追求し守られるべき価値であります。日本の憲法13条にも幸福追求が国民の権利として定められているのです。今の時代、私たちが幸せ、幸福を手に入れようとすることが良いことであることは疑う必要もないれっきとした命題です。

幸い、幸せ、幸福。ある意味これは人間誰もが持っている見えない宗教です。実際、今の日本には幸福、幸せを掲げた宗教が成長しつつあります。しかし「幸福」という言葉に惹かれるのはその宗教を信じている人々だけではないでしょう。

ここで他の問いについてまた考えてみましょう。皆さんは幸せですか?私たちが幸せだと判断する基準は何でしょうか。

今日の聖書個所の文章は「いかに幸いなことか…」と始まって「何々する人」と終わっています。英語聖書では“Blessed is the man”です。

皆さんにここでまた一つ質問させていただきます。幸せ、幸福が人にとって、とても大事なことでありますが、聖書の全体では「幸せ」「幸福」という言葉が何回記されているかご存じでしょうか?ちなみに「愛」は聖書の中で806回出ています。

日本語では幸せ、幸福、幸い、幸(さち)など言葉使いが多様で調べにくいので、英語聖書で調べてみました。英語で幸せは名詞happiness もしくは形容詞はHappy ですね。英語聖書では聖書全体からhappiness, happyを合わせて13回記されています。かなり少なくありませんか?

ならば今日のみ言葉のBLESSED(幸い)は何回書かれているでしょうか。

それは544回です。 聖書が記された当時の言語であるヘブライ語とギリシャ語では、一つの単語が幸せ(Happy)とも幸い(blessed)とも、訳すことができます。しかし聖書の内容の文脈から見てHappy、Happinessと訳せずBlessedの意味として訳されることが遥かに多いということになります。ですから聖書が示す人の幸せという概念は、幸せだという自分の主観的感覚や、人の内にある判断の基準によるものではないということです。聖書にしるされている人間の幸せ、幸福は、人間の外の基準、絶対者なる神様からの判断、宣言、祝福によって決められると理解されているのです。

大辞林国語辞典で「幸い」を調べてみました。その定義として出たのが第一に、「自分として望ましく感じられる精神的状態。幸せ、幸福。」とのことでした。第二の意味では、「ある状態が、あることをするのに都合がよいさま」、と記されてあります。この辞典的意味と同じように、私たちは、幸せは私たちの内にある、心にあるという時代に生きています。仕事をし、お金を稼いで幸せを感じるのなら、その人は幸せだと。いい学校で学び、賢いと言われ自分が幸せを感じるのならそれで幸せだと。また自分さえ楽しければそれが幸せだと。幸せの条件は人それぞれだと私たちは信じています。

また周りの人たちがどう思うのかが幸せの基準にもなります。人々が、社会が決めた幸せな生き方がテレビ、ドラマや映画、インターネットで絶えず溢れ出ています。私たちは数多い幸せな人生の姿、イメージ、基準を家族や友達、学校や社会から自然に学び、それを信じ、追求しながら生きていきます。

しかし今日の聖書の言葉は人間の幸せは、私たちがどう感じるかには関係がないと語ります。社会やほかの人々の判断と関係なく幸いな人がいると宣言しているのです。いくらこの世で楽しい人生、素晴らしいと言われる人生、憧れの生涯を送ったとしても、それで自分が幸せだと感じることができたとしても、神様の言葉がその内にいないのなら不幸な人生です。いくらつらくて、貧しくて、周りから見下される人生だとしても、神様の御言葉を愛し、従う人生は幸いです。

私たちの命の源である神様を喜び、その教えを求め続けた人生に与えられる神の宣告、それがまことの幸い、幸福であります。自分の状況や人生が今どうであれ、真の命である神の御言葉に聞き従うその人を、神は「あなた、幸いな人よ」とお呼びになります。今このように御言葉に耳を傾けている皆さんがまさに幸いな人ではありませんか。

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