“三密”を守ろう!?

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 10章8節

吉田隆によるメッセージ

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。甲子園教会の吉田隆と申します。今日の聖書の言葉をお読みします。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」。

今、お話をしているのは、関西圏の緊急事態宣言が解除したばかりの5月も末ですが、皆さんがこの放送をお聞きになるのは7月の後半ですから、もうすっかりコロナも終息して、思いっきり外の空気を吸ったり吐いたり、のびのびと過ごせるような状況になっていればいいなあと、心から願っています。さて、マスコミでも言われているように、今年の流行語大賞の候補には、きっとコロナ関連の言葉が並ぶでしょうね。「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」「テレワーク」。そう言えば、最初の頃は「オーバーシュート」とか「ロックダウン」なんていう言葉もありましたね。何が何だか、わけがわからなかった方もおられたのではないでしょうか。それにしてもなぜ、すべてカタカナなのでしょう。人々の安全のために確実に理解してもらわなければならない言葉は、やはり日本語で言う必要があると、指摘もされていましたね。と申し上げたところで、そう、ありました。日本語の言葉が。「三密」です。密閉・密集・密接を避けましょうと、至る所で言われましたね。これは確かにわかりやすかったと思います。ですが、そのために、人が集まることを目的としたイベントや施設などは、軒並み中止や閉鎖で、大変でしたね。キリスト教会もまた、人が集まることを大切にする所ですから、全国・全世界の教会はとても苦労されたと思いますし、今もなお苦労している国々が少なくないと思います。再び、皆が顔と顔とをあわせて、親しく過ごせるような時が一日も早く戻って来ますように、お祈りしたいと思います。

さて、そんな「三密」ですが、ある時、教会員のお宅を訪問しました時に、ちょうど向かいにある幼稚園の看板が目にとまりました。そこには、大きな筆書きの文字で「三密を守って、皆で元気に!」と書いてあったのです。一瞬「えっ?」と、思わず二度見してしまいました。もう一度、確かめるように見てみると、やっぱり「三密を守って」と書いてあるのです。「三密」は避けなければならないのであって、守っちゃまずいでしょうと。きっと間違っちゃったんだなあ、あんなに大きな文字で書いたら目立つから、教えてあげたほうがいいかなあと、いろいろ思いながら、そのことを訪問先の教会員にお話したら、やはり気づいておられました。そして、おっしゃったのです。「間違ったのか、それとも仏教系の幼稚園だから、敢えて「三密」を守ろうと言っているのか、どっちでしょうねぇ」と。なるほど、と思いました。確かに、その幼稚園は仏教系の幼稚園でした。そうであれば、ひょっとすると園長先生は、確信をもって、そしてユーモアを交えて、「三密を守ろう」と書いたのかもしれない、と思わされた次第です。

ご存知の方も多いと思いますが、「三つの密」という全く同じ漢字を使う「三密」は、仏教用語でもあります。私も知りませんでしたが、簡単に言うと、人間の営みは、三つの側面からなっている。それは、体による行動、口による言葉、そして心の働き。この三つです。これら三つを日々整えることに集中する。それを「三密の修行」と言うのだそうです。なるほど。感染を防ぐために「三密」を避けているうちに、「体」はなまり、かえって不健康な生活になってしまった人もいるでしょう。イライラして家族やお店の店員さんにまでキツイ言葉を「口」から発した人たちもいたでしょう。何より「心」が感染への恐れや将来の不安に苛まれた人も少なくなかったことでしょう。そうであれば、体と口と心、これら三つのバランスを整える「三密の修行」はとても大切な意味を持ちますね。「三密を守って、みんな元気に」という幼稚園の看板は、もしそういうことであれば、なかなか奥が深いということになります。

さて、そんな「三密の修行」のことを考えていましたら、そう、聖書にも同じようなことが書いてあったなあと思い出しました。それが、冒頭にお読みした聖書の言葉です。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」あなたの体・口・心の近くに、いえ、まさにその中に、神の言葉はあるというのです。これは、何を意味しているかと言えば、一言で言って、イエス・キリストの救いの言葉、福音のことです。私たち人間は、神に救っていただくために天にまで昇っていく必要はない、また地の下に下って行く必要も無い。私たちを愛してやまない、神の愛の言葉は、信じようとするならば、いつでも私たちのすぐそばにある。この喜びの知らせは、私たちの体、口、心と、いつでも共にあると言っているのです。

私たち人間の三つの側面を自分でコントロールできるなら、それに越したことはないでしょう。しかし、そうすることのできない人間の弱さや罪があります。そのような私たちが神様に赦されて、愛されて、そうして、私たちの体も口も心も、少しずつ変えられていく。それが聖書の教えです。そのような神の福音の言葉をいつもこの身に、口に、心において生きる。この「三密」の修行は、確かに私たちが生涯続けて行くべきことでありましょう。

関連する番組