キリストとの出会い

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聖書の言葉

シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

新約聖書 ヨハネによる福音書 6章68節

柏木貴志によるメッセージ

わたしは思うんですけれども、人と人との出会いは不思議なものです。人とキリストとの出会いも不思議なものです。

この朝は、キリスト教会の歴史のなかで「古代」と呼ばれる古い古い時代に生きましたユスティノスが導かれた、ある出会いについてお話をさせていただきます。

現在のトルコにあたります、エフェソという港町、その近くの浜辺をユスティノスという名前の若者が、おそらくは眉間にしわを寄せながら歩いていました。時は西暦100年代の半ば、当時、地中海世界一帯を治めるローマ帝国は最盛期を迎えていました。帝国の力は強く、領土は広がられ、一定の平和がもたらされました。交通網が整備され、人と物とが以前には考えられなかったほどに速く、多く各地を行き巡るようになりました。経済は飛躍的な発展を遂げます。人びとの生活は豊かになっていきました。しかし、他方、そうした、この世の繁栄では解決できない悩み、飢え渇き、真理を希求する願い、そういう人びとの叫びというものが濃くなってもいきました。

ユスティノスはそういう時代の空気を強く体現した若者であったと言えます。彼は幼い頃より、あちらに有名な先生がいると聞きますと、そこに飛んでいっては教えを受ける。また、あちらに偉い哲学者がいると聞きますと、そこにも走っていきまして、教えを受ける。そういう生活を続けていました。しかし、彼の心に安らぎがもたらされることはありませんでした。あれも違う。これも違う。確かなものは一つもないと。

そうして、エフェソの浜辺を歩いていたのです。これから、自分はどのように生きていっていいのか悩みながら歩いていたのです。すると、視線の先に、ひとりの老人が立っていました。ユスティノスはいつもの調子で、老人に話しかけ、真理のかけらでも得たいと願いました。老人はキリスト者でした。老人はいろいろなことを教えてくれたんですけれども、最後に、このように若者ユスティノスを励まします。「あなたは何よりも光の門があなたに開かれるように祈りなさい」(ユダヤ人トリュフォンとの対話」Ⅶ.3)。老人は勧めるんです。教会に行きなさい。行って、祈りなさいと。

けれども、ユスティノスはちょっとためらいます。それは、キリスト者のよからぬうわさを聞いていたからです。キリスト者というのはどうも人の肉を食べているらしい。人の血も飲んでいるらしい。教会に行くと、食われるぞ、そんな話を聞いたことがありました。もちろん、これはまったくの誤解でして、礼拝のなかで、聖餐式の時に、パンが裂かれ、ぶどう酒が配られますね。その時、キリストの肉、キリストの血と言われているものですから、その声だけを聞いた人から変なうわさが広がったようです。

その他にも、ユスティノスは思っていました、聖書を読むというのはどうも大変そうだ、ちょっと恐くもある。こういう思いがありまして、ユスティノスは教会に行くことをためらっていました。それでも、ある時、勇気をもって、教会をのぞいてみました。すると、うわさで聞いていたようなことはなくて、むしろ、教会に集う人たちの姿に、彼は魅かれていくのです。

この感じ、わたしもなんとなく分かる気がいたします。わたしが初めて教会に足を踏み入れましたのは大学1年生の時でした。行く前はちょっと恐かったんです。どんなことをしているんだろう。変なツボを売りつけられたどうしよう。洗脳されたらどうしよう。ドキドキしながら、教会への坂道を歩いたことを覚えています。

が、ユスティノスがそうでありましたように、教会のなかに生きるキリスト者の姿を見つけました時に、うわさは誤解である。自分もまたこの人たちの信じるものを信じたい。時間をかけても信じたい。そういう思いにされました。

この世界の中にありながら、この世界とは違う空気が、そこにはありました。何より、神の言葉を聞く安らぎが、そこにはありました。イエス・キリスト、聖書こそが命の言葉であると、聖書は教えます。それがあれば生きていける、その真理が聖書のなかにあります。あっちに行って、こっちに行って、もう探す必要はありません。

ここにあります。この聖書、この命の言葉に触れるとき、その言葉と共に生きようとする時に、わたしたちの心には安らぎの風が吹き込んできます。

ユスティノスは後に、このようなことを語っています。

私は、すべての人が、私と同じ気持ちになって、救い主の言葉を避けることがないようにと望んでいる。その言葉は実に、怖るべき力をその中に持っているので、正しい道からはずれたものの中に恐怖を起こさせるが、一方その言葉を十分に学び取るものにとっては、この上なく喜ばしい安らぎが生ずるのである。(ユスティノス「ユダヤ人トリュフォンとの対話」Ⅷ.2『キリスト教教父著作集Ⅰ』213頁)

この日、このラジオを聞いておられるお一人おひとりの心に、聖霊のあたたかい風が吹き、命の言葉との出会いが導かれますようにお祈りいたします。

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