カインとアベル

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聖書の言葉

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。

旧約聖書 創世記 4章2~5節

吉田謙によるメッセージ

カインとアベルは、最初の人間、アダムとエバの二人の息子たちで、カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となった、と言われています。彼らはそれぞれの働きで得た精一杯の献げ物を神様に捧げました。すると、神様はアベルの献げものには目を留められたが、カインの献げものには目を留められなかった、と言われているのです。この物語は、私たちに、人生の謎、理由のわからない、説明のできない苦しみの問題を見つめさせています。エデンの園を追われた人間が生きているこの世界は、荒れ野であり、そこには、神様の恵みが見えなくなってしまうような謎が沢山あるのです。そして、そのような謎に直面する時に、私たちは罪に陥る大きな危険にさらされます。罪が戸口で待ち伏せしているのです。そこで怒って顔を伏せ、神様を見上げることをやめてしまったならば、私たちは、たちまちその罪の餌食となり、兄弟を憎み、殺す罪に陥ってしまうでしょう。神様が私たちに求めておられるのは、人生の謎に直面し、納得できない苦しみに遭い、神様が自分を受け入れて下さらないように感じるその時にも、顔を伏せず、神様を見上げることなのです。そして神様に、自分の苦しみや悲しみ、怒り、納得のできない思いを、全てぶつけることであります。

ところがカインは、人生の謎の前に怒って顔を伏せ、神様を見上げることをせずに、ついには兄弟殺しの罪に陥ってしまったのでした。このカインの姿は、私たちの姿そのものではないでしょうか。イエス様は、ある時、人に向かって怒りや憎しみや嫉妬の思いをぶつける時に、そこでは既に殺人と本質的には同じようなことが起こっているのだ、と教えられました。この主の教えからするならば、私たちは、日々自分の嫉妬や憎しみや怒りに振り回されて、その結果、毎日、心の中で殺人を繰り返している者なのです。では、私たちは、この人殺しの罪からどのようにして逃れ、抜け出すことができるのでしょうか。今日の4章15節後半には、こう言われています。「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。」

このカインの物語において、神様は、殺人を犯し、地上の放浪者となったカインに、一つのしるしを与えられました。それは、彼に出会う人が誰も彼を撃ち殺すことがないようにと与えられた一つのしるしでした。こうして神様は、殺人の罪を犯したカインの命を、そのしるしによって守って下さったのです。このことが示しているのは、罪人に対する神様の赦しの恵みです。神様は、人を殺してしまう罪人に対しても、その命を大切に守って下さるお方なのです。このカインにつけられたしるしは、今の私たちにとっては、主イエス・キリストによる罪の赦しの恵みを指し示しています。イエス・キリストは、一つも罪を犯されなかったにもかかわらず、本来、私たちが受けなければならなかった罪の刑罰を、全部、お一人で引き受けて下さいました。そして、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と執り成し祈りながら、十字架の上で地獄の苦しみを一手に引き受けて下さったのです。これがイエス・キリストの十字架の愛でした。

私たちは、人生の中で起こり来る全てのことを、すべて納得できるわけではありません。なお、分からないことが沢山あります。けれども、今、私たちは、あのカインの時とは違って、そんな納得できない不条理の中にあっても、なお神様を信頼し、神様を見上げることが出来ます。何故ならば、このお方は、私たちの救いのために、独り子の命をも惜しまずに差し出して下さったお方だからです。それほどまでに私たち一人一人のことを愛し抜いて下さったお方だからであります。私たちの人生は、このお方の手の中にある。「あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。私は決してあなたを見捨てたりはしない。今は、苦しみは苦しみでしかないのかもしれない。悲しみは悲しみでしかないのかもしれない。しかし、あなたを愛している私が、あなたとあなたが愛している者たちを滅びるままにしておくはずがないではないか。やがて全てのことが相働いて必ず益となる!」これが神様の約束です。私たちは、この約束を信じ、どのような苦難の中にあっても希望に生きることが出来るのです。ですから、どんな不条理の中にあっても、決して諦めることなく、真剣に神様と向き合い、格闘していくことが大切なのだと思います。もし不条理に直面し、怒りや不安や嫉妬が生じたならば、見栄やプライドなどかなぐり捨てて、その思いを正直に神様に打ち明けたらよいのです。『何故ですか?!何故、私だけがこんな目に合うのですか?さっぱり分かりません』と、正直に今の自分の気持ちを神様にぶつけるのです。そうやって神様と真剣に格闘していく中で、次第に神様との関係が深まっていきます。そして、少しずつ神様の真実の愛が見えてくるようになり、やがて『ああそうか!』と心にストーンとおさまっていく時が必ずやって来ます。これは人から教えられて、理屈で納得できることではありません。一人一人がそれぞれの仕方で神様と真剣に向き合う中で、その人自身が神様から直接受け取るべきものでしょう。ですから、辛い時、苦しい時には、決して誤魔化さないで、思いっ切り藻掻いてください。思いっ切り神様にぶつかってください。そうする中で、きっと私たちの思いを遙かに越えた仕方で、それぞれの解決の道が備えられることでしょう。

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