創造の神

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聖書の言葉

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

旧約聖書 創世記 1章1~5節

吉田謙によるメッセージ

「初めに、神は天地を創造された」という言葉を聞く時に、きっと世間の多くの人々は、この科学の時代に、とてもそんなことを受け入れることなど出来ないと感じるのではないでしょうか。けれども、宇宙や地球の成立ちについて科学が語っていることと、聖書に書かれていることとを比べて、果たしてどちらが正しいかという議論は、全く的外れな議論です。何故ならば、科学において見つめられ、考えられていることと、聖書が語っていることとは、全く次元が違うからです。土俵が違う、と言った方がよいのかもしれません。科学は、この世界の事柄がどうなっているかを詳細に調べ、それがどのようにして起こってきたのかを、因果関係によって説明しようとします。けれども、聖書は、そういうことについては全く関心がありません。むしろ聖書は、天地創造の背後にある意味を問い、それを語ろうとしているのです。つまり、今日の天地創造の物語も、この世界がどのようにして出来たのかという事柄の説明ではなくて、この世界が存在し、そこに私たち人間が生きていることの意味を語ろうとしているのです。

ここで聖書が語りたいことは、この世界は、一日目には何、二日目には何、という具合に、神様の熟慮のもとで、計画をもって、順序立てて、一つ一つ創造された、ということです。決して、行き当たりばったりに、偶然に出来上がったものではありません。しかも、その創造の御業の一番最後に、人間が造られた、ということに大きな意味があります。要するに、創造の御業の頂点に人間の創造があるのです。人間を造るために、この世界は造られた、と言ってもよいでしょう。こんなことを言うと、またそれは人間の高慢ではないか、と叱られるのかもしれません。しかし聖書は、確かにそのように語っているのです。この点に関しては、聖書が語っていることと進化論の主張は、確かに大きく食い違っています。進化論では、進化の過程で、今、人間が一番進化を遂げているために、この世を治めているけれども、この後、どのように進化が進んでいくのかは分かりません。もしかすると、将来、他の動物が急速に進化を遂げて、人間を超えていくのかもしれません。例えば、猿が急速に進化を遂げて、将来、人間は猿に支配されてしまうかもしれない、これが「猿の惑星」という映画で描かれていたことでした。あの映画は、進化論のパロディーなのです。しかし、聖書は、この世界は人間のために造られ、人間には、この世界を正しく治める使命がある、と教えます。このことは、聖書の御言葉を、信仰をもって受けとめなければ分からない真理なのです。

この世界があり、私たちが生きていることは、決して偶然ではありません。それは神様のご意思、御心によることです。つまり、この世界があり、私たちが生きていることには、ちゃんと意味があるのです。それが、「初めに、神は天地を創造された」という聖書の最初の言葉が告げていることです。

まずこの天地創造において、神様は「光あれ」と言われました。神様は、それまでに無かったものを創り出されるお方です。無から有を創り出されるお方であります。過去の出来事を前提にするのではなくて、全く新しく、現在と未来を創り出されるのです。「それまでが暗闇であるならば、これからもずっと暗闇であろう」と私たちは勝手に決めつけてしまうのかもしれません。けれども、神様が「光あれ」と言われるならば、それまでに無かった光がもたらされるのです。神様は、人間が想像すらできないような全く新しいことを成し遂げられるお方です。

そのような全く新しいことを成し遂げられる神の言葉が、イエス・キリストを通して、この世界に与えられました。もし私たちが救われるとするならば、それは天地創造がそうであったように、それまでの私たちを前提とするのではなくて、全く新しい神様の創造の御業なのです。そのような神の言葉がこの世界に与えられました。神様は今も御言葉によって、この世界に、また私たちの人生に、新しい創造を起こされます。そこで私たちに求められているのは信仰です。ただただ信じることが求められているのです。

信仰の道は、本来、シンプルです。必要とされているのは神の言葉への信頼です。全てを支配しておられる神様が、独り子の命を犠牲にするほどまでに、この私を愛し抜いて下さいました。そして、その凄まじいまでの愛をもって、「私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう」と招いて下さいます。そうであるならば、何を迷う必要があるでしょうか。素直になって、その招きに応えればよい。ただそれだけのことです。

「光あれ」と神様は言われました。これが神様の御心です。もしかすると、今、暗闇の中を歩んでいるかのように感じておられる方もいらっしゃるかもしれません。真っ暗闇ではなくても、自分の人生には陰りがあると感じておられる方は、案外多いのではないかと思います。だんだんとこの陰りの方が強くなり、やがては自分の人生を覆い尽くしてしまうのではないかと不安になることがあります。自分の病気や家族の病気に悩んでおられる方もいらっしゃるでしょう。生活が破綻してしまい、もうどうにもならないと諦めかけている方もいらっしゃるのかもしれない。けれども、大丈夫です。勇気を出しましょう。主なる神様は「光あれ!」と言ってくださいました。これが神様の御心です。そうであるならば、たとえ今が真っ暗闇で、先行きの見えない人生であったとしても、きっと主が「光あれ!」と語りかけ、あなたの人生に希望の光を灯してくださるはずです。

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