中村哲先生に学ぶ愛の業②

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聖書の言葉

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

旧約聖書 創世記 1章27節

吉田実によるメッセージ

今回は、アフガニスタンとパキスタンで35年間医療支援をし続けて来られた日本人の医師、中村哲先生から学ぶ愛の業、と言うテーマでお話をさせていただいています。長年続く干ばつ被害に悩むアフガニスタンの人々を本当に支援するためには、病気の治療以前に水と食料が必要だと確信された中村先生は、医者であるにもかかわらず河川工学を一から学ばれ、井戸を掘る事、そして用水路を建設する事業をお始めになりました。そして苦労の末に2010年にはアフガニスタンのクナール川からガンベリー砂漠に至るまで約25キロメートルにも及ぶ用水路が完成いたしまして、約3500ヘクタールの荒れ地が緑の農地に変貌し、何十万人もの現地の人々が干ばつ被害から立ち直ったと言われています。私は以前テレビのドキュメンタリー番組で中村先生の用水路建設の様子を拝見したのですけれども、用水路が完成した時に、現地の知事が中村先生を抱え上げて喜ぶ姿や、用水路によって蘇った土地に帰ってくることが出来た住民が満面の笑顔で「お腹がいっぱいになれば、誰も戦争の事など考えませんよ」と言った、その言葉と表情に、真実な愛が確かに伝わっていることを感じました。

そんな中村哲先生の用水路建設事業の最後の仕上げは、用水路の最終地点に村を作るということでした。用水路の最下流にありますガンベリー砂漠に村を作り、80家族約1000人がそこに定住できるようにするという計画です。アフガニスタンでは未開の土地は最初に耕した人のものになるそうです。ですから、砂漠だったその土地に水を引いて緑の農地に変え、そこに人が住めるようになれば、そこに新しい村を作ることが出来るのです。どうして用水路の最下流に村を作るのかと申しますと、それは用水路の維持管理をするためでした。その用水路造りに協力してくれた人たち、そのための技術と経験を身に着けた人たちにその村に住んでもらって、農作物を育てると共にその用水路の補修技術を次世代にも引き継ぎながら、助け合って共に生きるコミュニティーをつくる。それが中村先生の支援の最後の仕上げだったのです。その村は用水路の最終地点ですから、用水路の途中でトラブルが発生して水が流れて来なくなると生活が出来ません。そこで20数キロある用水路全体のメンテナンスをすることが自分たちの生活の為でもあるし、それが上流、中流に暮らす人々の為にもなるわけです。そのようにして互いに助け合うコミュニティーを作って、外国に支援をしてもらわなくても自分たちで生きて行くことが出来るようにすること。普通の人々が普通に食事をして普通に生きて行くことが出来るようにすること。それが中村先生の支援活動の最終ゴールだったのです。作物を育て、収穫し、家族を養うことが出来るようになれば、アルカイダやタリバンの傭兵になって戦場に出る必要もなくなるからです。「必要なものは水と食料です。戦争ではありません」「武器ではなく、つるはしでアフガン復興を目指す」。そんな中村先生の言葉は決してきれいごとではない、地に足の着いた、一人一人の顔が見える確かな「愛の業」の実践を続けて来た人独自の説得力があるように私には感じられました。そしてそのようにして実際に砂漠が緑が蘇り、村が出来て、そこに畑や水田を作りながら、用水路のメンテナンスと言う大切な使命も果たしながら暮らし始めた村人たちの表情は穏やかで、希望に輝いているように見えました。自分たちの手で家族を養うことが出来るようになった上に、用水路の維持管理を通して多くの同胞たちの役にも立っている。そのような健全な自信と誇りが、彼らの生きる励みになっているのです。この中村先生の用水路と村づくりの実践を通して、人は一方的に助けられるだけではなくて、互いに助け合いながら共に生きるということがいかに大切であるかということを、私はあらためて教えられました。

三位一体の神様によって男と女に造られた人間は、最初から違いのある者たちが助け合い分かち合いながら共に生きるように造られました。ですから一方的に助けられるだけではなくて、助けられて自分の足で立てるようになったら、自分もまた誰かを助ける。そんな助け合い分かち合う共同体を形づくりながら、自分自身がそこに生きて、そのような生き方を伝え広めて行くこと。それが人間本来の生き方の回復につながる、本当の「愛の業」ではないか。中村哲先生のお働きをあらためて振り返りながら、私はそのように思いました。

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