クリスマスなんて祝う気分でない人に(1)

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聖書の言葉

こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

新約聖書 マタイによる福音書 1章17節

大西良嗣によるメッセージ

ラジオをお聞きの皆さんの中には、新約聖書を手に取って読んでみようとされた方がいらっしゃることと思います。新約聖書の初めには、イエス・キリストの系図が書かれていて、カタカナの名前がずらずらと並んでいます。初めて聖書を読んで見ようと思った方が、あまりにもカタカナの名前がたくさん並んでいるので、面食らって、それだけで聖書を読むのをやめてしまったという話も聞きます。新約聖書が、なぜ、そんなに読みにくい系図で始まっているのか。もっと読む人の興味を引く書き方ができなかったものかと、首をかしげたくなります。

実は、新約聖書の前には、旧約聖書というものがあります。旧約聖書と新約聖書を合わせたものが、キリスト教会の正式な正典である聖書です。イエス・キリストがお生まれになってからのことが新約聖書に記されており、イエス・キリストがお生まれになる前のことが旧約聖書に記されています。旧約聖書には、主である神様が世界を造られたことから始まって、イスラエルの先祖であるアブラハムが選ばれたこと、そしてその後のイスラエルの歴史などが記されていきます。新約聖書の初めに記されたカタカナばかりの系図は、実は、旧約聖書の要約だと言ってもよいものです。そこに記された名前を見ると、イスラエルの歴史をたどることができるのです。新約聖書は、旧約聖書の歴史全体を振り返って、その歴史を経て、「ついにイエス・キリストがお生まれになったのだ」と語り始めるのです。

「民族の歴史」を書く場合には、できるだけ、その民族にとって名誉であることを書きたいと考えるのではないでしょうか。日本にも、日本の歴史の中で、不名誉なことは書くべきではないと考える人たちがいます。しかし、旧約聖書は、イスラエルの失敗を隠さずに書きます。自分たちが、唯一の真の神である主に背き、他の神々を拝んでいたために、ついには国を滅ぼされた歴史までも記します。先ほど読みました聖書の言葉に「ダビデからバビロンへの移住まで十四代」とありました。ダビデはイスラエル王国全盛期の王です。その後、主である神様に背いていく歴史が記され、ついにはバビロン帝国によって滅ぼされるのです。「バビロンへの移住」とありますが、バビロンへと捕虜・捕囚として連れ去られる結果を招いたということです。

その後の歴史も、困難が続きました。バビロン帝国からは解放されますが、もはやダビデ王の時代のように王国の繁栄を取り戻すことはできませんでした。ペルシア帝国の支配下に置かれ、その後、ギリシア帝国の支配下に置かれました。一時的に独立を勝ち取りますが、再びローマ帝国の支配下に置かれます。「バビロンに移されてからキリストまでが十四代」とありましたが、この時代も困難な歴史を歩んだのです。

イエス・キリストがお生まれになったのは、イスラエルの人たちがローマ帝国の支配下に置かれた時代でした。強大な軍事力を持つローマ帝国の支配下に置かれた人々は、そう簡単には人生の行く末に希望を持つことができなかったことでしょう。

ですから、イエス・キリストがお生まれになったことを祝う「クリスマス」は、華やかなパーティーとか、カップルのロマンチックなデートとは、ちょっとイメージが違うということが分かります。クリスマスは、自分の人生、自分たちが生きる共同体や社会が、とてつもない困難を経験し、どん底にある時に起こったことです。

イエス・キリストが来られることで、新しいことが始まりました。主である神様が旧約聖書の時代から約束してくださっていた「その日」、すなわち救いと解放の時が、やって来ました。主のご計画が新しい展開を始めました。主である神様に見放され、どん底にあると思っていた人たちに、「主がともにおられる」ことが示されました。闇の中に光が照り始めました。

今年もクリスマスが近づいています。来週の日曜日には、多くのキリスト教会でクリスマス礼拝を行います。「クリスマスなのに」、一緒にケーキを食べる相手がいないとか、憂鬱で祝う気分にもなれないという方が、いらっしゃるかもしれません。クリスマスは、もともと、祝う気分にもなれない人たちのところで起こったことなのです。どうぞ、お近くの教会で、本当のクリスマスを味わってみてください。

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