父親の眼差し

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聖書の言葉

特定の引用箇所はありません

旧約聖書 イザヤ書 12章1~3節

山中恵一によるメッセージ

先月まで番組スタッフをしていました山中といいます。4年ほど前から、私の放送回では、「父親の眼差し」というシリーズで、子育てパパの目線から、聖書のお話をしてきましたが、この11月より、渋谷区にあります東京恩寵教会に移動となりまして、今回が、この「父親の眼差しシリーズ」の最後のお話となります。毎回、放送回が近づくと、子供たちを見る目が変わって来てですね、何か話のネタがないものか、と感じの悪い父親になることもありました。それでも、神様のお導きの中で、ウチのちびっ子たちにとっての頼れるお父さんであれるように、と彼らといっしょに成長させられ続けた4年間でした。

「頼れるお父さんでありたい。」これは、世のお父さんたちが、誰でも心に思う事ではないかなぁと思います。子供が、おねだりなんかして来ると嬉しいですよね。わが家の子供たちは、男の子と女の子の2人兄妹なんですけど、可愛いですよ。下の娘はまだ、言葉で伝えられないので、両手をこっちに差し出して、おねだりの思いを伝えてきます。上の息子が、また、可愛くてですね、「ねぇお父ふぁん、ちょっとやってくれな~い」こんなお決まりのフレーズで、私を頼ってお願いをしてきます。極力、彼らの要望に応えようと、日々、親業に励んではいるのですが、そうは言っても、他にやることがあったり、疲れが溜まり過ぎていると、彼らの思いに応えられないことも多々あります。でも、彼らは、そんなことおかまないなしです。要求が通らないと、悔しがって、残念がって、そして、泣き始めるんですね。そんな、子供たちを見てると、すごいなぁと思います。お願いが聞かれない経験を数え切れないほどして、そして、毎日のように泣いているのに、それでも、次にお願いしに来る時には、100パーセント私が、やってくれると思ってお願いしてくるんですね。なので、それが、適わないと、本当に裏切られて気持ちで、思い通りにならないことが悔しくて、泣くわけです。

そんな時には、なるべく、お願いを聴くことが出来ない理由を伝えて、そして、抱っこをして慰めます。こんなやり取りが、毎日、毎日繰り返されるんですけど、どれだけお願いが聞かれなくても、彼らは諦めることなく、私を頼るんです。すごいなぁ、と感心させられます。もう、お父さんでは頼りならない!と私を切り捨てることがないんですね。子供たちの私への信頼を支えているのは、お願いをいつも聞いてくれなくても、それでも、親は自分によくしてくれる存在だ、ということを根っこの部分で、よく知っているからだと思います。だから、今回はダメでも、次は、良くしてくれるだろう、と彼らのおねだりが終わることなはないんですね。

まぁ、しかし、彼らのように、全幅の信頼をおける相手が近くにいる、というのは、イイモノですよね。それも、自分には出来ない事でも、やってのけてくれる、そんな実績のある存在であれば、もう言う事なしです。自分が行き詰まった時、新しい何かへと一歩を踏み出す時、確かな力をもった頼れる味方がいたら、私達は、自分には難しい状況、無理に思えるような状況の先にも、自分の未来を描くことができます。誰かを頼れるということは、未来に希望を見いだせる、ということなんだと思うんです。そうだとするならですよ、もし、私達が、神様と言う御方を、本当に頼れる御方として信頼し続ける事ができるなら、私達は、どんなときにも希望を見いだすことができる、そんな人生を過ごせることができるようになるはずです。

私達が、神様への信頼を育んで行くのも、子供が親への信頼を堅くしていくのと似ています。聖書にはこうありました。「見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して恐れない。」この言葉は、戦争で国を失い、大切なものを本当にたくさん失った人の言葉です。神様を信じていても、失うことがある。毎度、毎度、おねだりが聞かれるわけではない。それでも、この人は、神様を信頼するんだと言うんですね。ウチの子供が、「自分によくしてくれる存在」として、私を知っているように、この人も、「自分によくしてくれる御方。自分を救ってくださる御方」として、神様のことを知る人でした。この救いは、どういう救いであったのか、というと、その前の箇所で、こう言われていました。「わたしは、あなたに感謝します。あなたは私に向かって怒りを燃やされたが、その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。」救い主としての神様。それは、自分のよくないところ、ダメな所を責め続けて、自分によくしてくださらない方ではありません。よくないところのある私たちなのに、嫌な気持ちをひっくりがえして、不思議と慰めてくださる御方、元気づけてくださる御方、神様と言うのは、そのように、愛によって怒りを乗り越えて、自分に良くしてくださる御方だ、聖書は語るんですね。これが神様への信頼が育まれるために、私たちの心の根っこの部分に与えられる思いです。神様は、怒りではなく、自分に愛を注いでくださる御方である。神様は聖書をとおして、神様を頼る心を育んでくださいます。救い主、イエス・キリストをとおして、私たちの信頼を勝ち取ってくださいます。

心の根っこに神様への確かな信頼が築かれるとき、私達は、どんな時でも、「ねぇ、お父ふぁん、やってくれな~い」と、願い続ける事ができます。なかなか、願いが聞かれなくても、「神様は、わたしによくしてくださる御方だ」と、毎回、毎回、100パーセントの信頼を込めて、神様におねだりすることができるんですね。自分にはどうにもできな状況でも、それを何とかすることのできる力ある神様が、いるんですね。そして、どんな時にも希望を失うことがなく、どんな時にも頼りにできる、このすばらしい御方は、あなたに「自分のことを知ってほしい」と願っておられます。ぜひ、この神様を聖書をとおして、教会をとおして、知って頂きたいと思います。

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