平和を実現するため

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聖書の言葉

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節

弓矢健児によるメッセージ

私たちはこの8月を、特に先の戦争における罪を告白し、平和への思いを新たにする時として与えられています。本日の聖書の個所は、イエスの山上の説教の中にある御言葉ですが、聖書も私たちに平和を教えています。しかし、ここで注目したいことは、イエスが、「平和を祈る人々」ではなくて、「平和を実現する人々は」と語っている点です。「祈り」は、神との真実な対話であり、神への心からの願いです。ですから、私たちが平和を祈ることはとても大切なことです。教会は毎週の礼拝で神に平和を祈ります。しかし、そういう平和の祈りを土台にしながらも、本日の箇所でイエスは、その祈りを、具体的な行動として世に示し、平和を造り出していくことを求めておられます。それが「平和を実現する」ということです。

しかし、このように言いますと皆さんの中には、平和というのは人間の努力ではなくて、神が与えてくださるものではないのか。そういう疑問を持つ方もおられると思います。確かに、主の祈りの中で、「御国を来たらせたまえ」と祈ります。神の国は神ご自身が来たらせてくださいます。そして、この世界に神の国が到来した時にこそ、真の平和が実現します。ですから、究極的には人間ではなく、神が平和を実現してくださいます。もちろんイエスも、それはご存知です。それにも関わらず、イエスはあえて「平和を実現する人々は」と言われました。なぜなのか。それは、神は私たち人間の働きをも用いて平和を実現してくださるお方であるからです。

聖書の創世記1章28節を見ると、神は人間を神のかたちに創造され、この世界を治める責任を与えられたと書かれています。つまり、私たち人間には、神の創造なさったこの世界の中で、かけがえのない命を守り、平和を実現していく責任と使命が与えられているということです。神は私たちがそのように生きることを望んでおられます。そしてイエスは、私たちがそのように生きることを「幸いである」と言われます。

けれども、神からそのように言われているにも関わらず、歴史の中で人間が繰り返してきたのは、平和を実現することよりも戦争をすることでした。

ナチス・ドイツの軍人・政治家にヘルマン・ゲーリングという人がいました。彼はナチス・ドイツのナンバー2で、一時はヒトラーの後継者とまで言われた人です。そのゲーリングが、ドイツ敗戦後、獄中で次のような言葉を語ったと言われます。

「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。わざわざ自分の命を危険にさらしたいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、常に簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく、国家を危険にさらす人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」

悲しいことですが、ゲーリングが語った言葉はまさに歴史の現実を表しています。日本の国もかつて、「欧米列強から日本を守るため」という大義名分の下、国民を戦争に駆り立て、韓国を併合し、中国大陸やアジア太平洋全体に軍を派遣し、侵略戦争を行いました。その一方で、戦争に反対した人々は「非国民」であるとして非難され、逮捕され、迫害されました。中には獄中で命を奪われた方もいます。しかし、そうした戦争の末路が沖縄での地上戦の悲劇であり、本土大空襲の悲劇であり、最後はヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の悲劇でした。

結局、軍事力によっては人々の命も、安全も守ることはできなかったのです。それにも関わらず、なぜ人間は今日に至るまで、軍事力に頼り、戦争を行うのか。聖書は、そこに人間の根深い罪があると教えています。本来人間は命の創造者である神の愛の中にあって、神と共に歩んでこそ平和に生きることができます。しかし、人間は神の愛から離れ、あたかも自分を神のように考え、傲慢に生きるようになってしまったのです。その人間の罪が、すべての争いの、敵意の、戦争の根底にあるのです。その罪が平和を実現するのではなく、戦争を生み出してきたのです。

しかし、神はこの人間の罪を贖い、真の愛と平和を回復させるために、救い主イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。そして、イエスは人間の罪を贖うために、剣を捨て、敵を愛してくださいました(マタイ5:44、26:52)。それがイエス・キリストの十字架です。聖書はこのイエス・キリストの十字架によって、この世界に真の平和と和解が到来したと証ししています(コロサイ1:20)。

もちろん、私たちの世界にはいまだ戦争があるし、暴力があります。今この時も世界の様々な場所で戦争が起こっています。また、戦争を放棄したはずの日本の国の中にも、再び人々を戦争へと導こうとする力があります。イエス・キリストの十字架によって到来した平和は、まだ完全に目に見える現実にはなっていません。しかし、だからこそ、その見えない平和の現実を、目に見えるようにしていかなければなりません。それが「平和を実現する」ということです。神は私たち一人一人に、みなさん一人一人にその使命を与えてくださっています。

イエス・キリストの愛と平和を信じ、日々の生活の中で出会う一人一人を大切にしながら、私たちは平和を実現する者として共に歩みたいと願います。

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