父親の眼差し

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聖書の言葉

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節

山中恵一によるメッセージ

先週に引き続き、子育て奮闘中の父親目線で味わった聖書の恵みを皆さんにお伝えしたいと思います。わが家には、3歳9ヶ月の長男と、1歳3カ月の長女がいます。最近のわが家で、よく見かける場面で、「自作自演のありがとう」といったシーンがあります。息子が、その辺のものを持って来て、私や妻、妹に「どうぞ!」と言って手渡すんですね。そして、間髪いれず、自分で「ありがとう」と、言って背を向けて、次に渡すモノを探しに行く。こっちは、ひるがえった彼の背中に向かって、「あぁ、ありがとう」と言うわけですけれど、これは、もう、ありがとうの押し売りですね。そんな自作自演のありがとう遊びが、時折り始まります。私や妻から「ありがとう」と言われるのが、きっと、気分のイイモノなんでしょうね。それで、彼は、ありがとうを言われたくて、いろんなものを持って来てくれるわけです。まぁ、これは大人でも似たところがあるんじゃないか、と思います。自分のした何かで、相手が嬉しい気持ちになってくれる、なんか喜びの言葉をかけてくれる。これは、気分のよくなることですよね。

しかしですね、ありがとうを言わせることには夢中になるんですけれど、自分が誰かに「ありがとう」を言う場面では、気が付かないことも多々あります。そこで、親は、「あれ?おやつをもらったらなんて言うんだっけ?おもちゃを貸してもらったらどういうんだっけ?」と子供に問いかけます。そうやって、「こういう時には、ありがとうって言うんだよ」ってことを教えるんですね。誰かが良いことをしてくれたことで、嬉しさを感じる子どもになるように、そして、その気持ちを相手に伝えられる子供になるように。子供に教える「ありがとう」には、親の願いが込めらています。

今朝、お読みした箇所も、私たちに、「こういう時には、ありがとうって言うんだよ」という教えがありました。聖書が教える「ありがとう」は、わが家で子どもに教えているものより、一段上のありがとうです。それは、「どんなことにも感謝する」というものです。分かりやすく良いコトがある時だけじゃなくて、目の前に辛いコト、厳しいこと、こういうことがあっても、「どんなことにも感謝をするように」「どんなことでも感謝っていうのはできるんだよ」と言うんですね。毎日に起こるどんなことにでも「ありがとう」と、嬉しさを感じることができたら、その人の人生は、嬉しさだらけの毎日ですよね?そんな風になれるのだとしたら羨ましい限りです。

どうやったら、そんな風に毎日を過ごすことが出来るようになるんでしょうか?お読みした聖書の最初の言葉は、こんな言葉でした。「いつも喜んでいなさい。」いつも喜ぶことができるとしたら、そらぁ、どんなことにも感謝できるような気がしますよね。でも、人生は、そうそう喜ばしいことばかりではありません。それなのに、いつも喜んで、どんなことにも感謝をする。これは、なかなかのムリ難題のように思えます。今日の聖書箇所には、喜びなさい、と、感謝しなさい、の間に、もうひとつ、言われていることがありました。それは、「絶えず祈りなさい」という言葉です。お祈りというと、神様へのお願い事が中心事項のように思えますが、お祈りには、もっと、大切な意義があります。それは、「神さまと言葉を交わし、心を通わせる」ということです。いつも喜んで、どんなことにも感謝をする。このふたつの魅力的な日々を送るためのカギとなるのが、「お祈り。神様と心を通わせる」ということなんですね。神様に思いを打ち明けて、その結果として、毎日に起きる出来事に目を注いでみる。神様に言葉を投げかけた後で、聖書のメッセージに思いを向けてみる。すると、不思議なことに、辛いコト、苦しいコトにも、神様のお考えがある、神様のお導きがある、ということに段々と、気付かされていくんですね。

私が、まだ、思春期、反抗期の真っ最中だったころ、自分に対する親の関わり方がまったくもって、喜ばしく思えない時期がありました。親の方は、アレコレと私のことを思って、叱ってみたり、宥めてみたり、少し距離をとって様子を見たりとしていたんだと思うんですが、あの頃、自分は、「親の気持ち」と言うものが、まったく分かりませんでした。それで、自分の思う通りに家の環境が整わなければ機嫌が悪くなる。親が近づいて来れば、めんどうに思う。喜ばしく思えないので、感謝の思いも湧いてこない。そんな時期がけっこう長く続きました。

でも、それから、ある程度、歳を取って、実家も出て、親も1人の人間なんだよな、と、親の心というものを考えて、親の気持ちというものに目が向くようになると、鬱陶しく思えた会話や、欲しいものがなかった環境にも、感謝の気持ちが湧いてくるようになりました。すると、早く出て行きたいなぁ、ここは辛いなぁと思っていた実家が、なんだか喜ばしい場所へと変って行ったんですね。親と心が通じるとき、辛く感じたこと、生き苦しく思えたことが、「ありがとう」と言える出来事になりました。

神さまとお祈りをして、心を通わせる、ということも、似ているかもしれません。人生に起こるすべてのことで、神様と関係なしに起こることは何一つありません。そこには、辛く思えること、苦しく思えることがあるんだと思います。しかし、この神様にお祈りをしつつ、神様と心通わせる日々を送るのであれば、私たちの毎日は、辛く思えても喜ぶことのできる毎日、厳しく思えても感謝のできる毎日へと変って行きます。

身近な誰かから、「もっと感謝しなさいよ」なんて言われると、偉そうだなぁ、とか、恩着せがましいなぁ、なんて思うことがあるかも知れません。でも、神様は、どんなことでも感謝できるのだよ、と言えるだけの十分な実績をもって、私たちの気付くところ、気付かないところで、数多くの「ありがたい」できごとを行ってくださっています。父親が、いつも子供の喜びを願うように、私たちの日々には、たとえどれだけ辛い時期であったとしても、いつも、私たちを喜ばせて、嬉しい気持ちにさせて、わたしたちからの「ありがとう」を引き出すのに十分な、神様の愛が注がれています。

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