父親の眼差し ゴメンネって言うんだよ
山中恵一
- 東京恩寵教会 協力牧師
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自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
新約聖書 ヨハネの手紙一 1章9節
私の放送回では、子育てパパの目線から、「父親の眼差し」というシリーズで、聖書のお話をさせてもらっています。
うちにはふたりの子どもがいるんですが、上の男の子は、3歳9ヶ月、下は、娘なんですが、今、1歳3カ月でですね、2人とも毎日、家の中をタッタカ、タッタカ、元気に動き回っています。ありがたいことに、兄妹そろって元気いっぱいに育っているんですが、お互い元気すぎて、ぶつかり合うなんて場面が、一日に何度かあります。2歳半離れているので、ぶつかれば、被害に遭うのは大概、娘のほうです。また、おもちゃの争奪戦という、定番の問題事も、露わとなってきました。これも、お互いに悪い所があるんですけれど、でも、最終的には、お兄ちゃんが、妹から、欲しいものを無理に取り上げて、娘が泣き目を見る、というのが、お決まりのコースです。上の子は、今年の4月から幼稚園に通っているんですが、そこでも、お友だちと、ぶつかることがあるようで、顔にひっかき傷を作って帰ってきたこともありました。
そんな、お兄ちゃんには、今、一生懸命、身に着けようとしていることがあります。それは、「謝る」ということです。娘を突き飛ばしては、私たち親から、「あれ?こういう時は、なんて言うんだっけ?」と問いただされて、「ゴメンナふぁい」と言うことを、毎日、何度も繰り返しています。あらためて、子どもに何かを教えるというのは、本当に難しいなぁと思わされています。息子は、言葉をおぼえるのが、だいぶユックリなんですが、そんな彼に「謝る」ということを口で説明しても、全部を理解することはとても難しい。最初は、とにかく、意味がわからなくても、相手が泣いたら「ゴメンなさいって言うんだよ」といって、言葉を口にするところからスタートしました。今も、何が、イイことで、何が悪いコトなのか、わからないことだらけだと思います。それでもですね、「ゴメンなさい」が何か、悪いコトをしたときの言葉なんだぁ、ということは、少しずつ伝わってきているように思います。イイこと、悪いこと、という視点が、彼の人生に、あらたに組み込まれようとしているわけですね。最近は、「ゴメンなさいでしょ?」とか、「相手が泣いちゃったときはどうするの?」なんてことを言うと、眉毛をハの字にして、気まずそうな顔をすることも増えて来ました。
日本語で、バツが悪いという言葉があります。言葉の由来は、諸説あるようですが、バツが悪いの、「バツ」とは、「場の都合=場都合」が元だ、という説が有力だそうで、間違ったことをして、その場にいづらくなる。それが、バツが悪い、と言う言葉です。悪いコトをしたと気付いたときの彼の顔。それは、間違ったことをして、その場に居づらくなっている、そんな、どこか、おどおどとした表情です。
そんな彼の顔を見ていると、親としては、何とも切ない思いがこみ上げてきます。子どもが悪いことをして平然としているなんてのは、親からして嫌なことです。でも、自分がした悪いコトへの気まずさで、心苦しくなっている顔も、親にしてみたら嬉しくないんですね。だから、親は、「ゴメンなさい」を教えるのとセットにして、子供が謝った後には、笑顔で「良いよ」と言って、赦された時の安心も同時に伝えます。
今朝、お読みした聖書の言葉は、こんな言葉でした。「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」自分の悪さを認めて、神様にゴメンなさいをすれば、その罪は赦されるんだ、と言うんですね。子供が、親から教わらないと「ゴメンなさい」が身に着かないように、私たちも、聖書から教えられなければ、神様への「ゴメンさない」というものは、身に着かないんですね。
人間の親がそうであるように、神様もまた私たちが正しい人間となることを願って、ゴメンなさいを教えてくださいます。私たちに、人でなしになってほしくないからです。しかし、間違ったことを仕出かした責任で、私たちが潰されることがないように、謝れば「良いよ」と言って、安心を与えてくださるんですね。これが、神様の正しさなのだ、正義なのだ、と、今日の聖書箇所は告げていました。間違ったことがあっても、謝るならば、それを赦す。これが神様の正義だって言うんですね。「正義」と聞くと、間違ったことは決して認めない、そんなイメージあるかもしれません。でも、聖書の神様は、間違ったことをなぁなぁにはされませんが、謝るならば、赦して下さる。間違いだらけの私たちには、ありがたい、ひと味ちがった正義を持っておられます。
間違いや悪いコトを指摘される子どもは、おどおどした顔をします。大好きな親が、自分に向けて、嫌悪感のある表情を向けている。その空気にいたたまれなくなるんだと思います。でも、親は、子どもが嫌いで、子どもを苦しめようとして、「今のは、ゴメンなさいだよ!」と訴えるわけではありません。親は、子どもが早く「ゴメンなさい」に気が付いて、謝ることを願っているんですね。それは、一刻も早く、彼が赦されて、晴れ晴れとした気持ちで、毎日を居心地良く過ごしてほしいからです。
もし神様が今、あなたの前にいるとしたら、あなたには、何か後ろめたいコトはありませんか?バツが悪くて、なんだか、神様と関係を深めることをためらってしまうような、間違った生活や、悪い心はないでしょうか?思い当たりのある方は、ぜひ、神様に「ゴメンなさい」とお祈りしてみてください。モジモジしながらも、ゴメンなさいができたとき、「よくゴメンナサイができたねぇ」と言って、心から喜ぶ親のようにですね、あなたの、心からの「ゴメンなさい」を、神様は、喜んで、受け入れて、赦してくださいます。