石井十次物語②

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聖書の言葉

ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。

旧約聖書 イザヤ書 43章1節

吉田実によるメッセージ

5月5日に「大原美術館物語」というタイトルでお話をさせていただきました。倉敷にあります大原美術館は、実業家の大原孫三郎と、画家の児島虎次郎と、岡山孤児院の創設者である石井十次の3人の男たちの出会いから生まれた美術館なのです。

そして5月12日には、その大原美術館の創設者である大原孫三郎に大きな影響を与えましたキリスト者、石井十次と言う人のお話をさせていただきました。石井十次は「福祉」という言葉さえまだ定着していなかった時代に孤児救済事業に着手し、実に3,000人を超す孤児たちを育てて世に輩出した、日本における社会福祉事業の先駆者です。

前回は十次が医師になるための研修として岡山県の田舎の診療所で働いていた時に、夫と死に別れた貧しい二人の子供連れの母親から「子供を一人引き取ってもらえませんか。二人の子連れでは仕事をしたくても雇ってもらえないのです」と懇願され、妻と相談の末に8歳になる男の子を引き取ったというお話をしました。そしてその後もさらに二人の子供を預かることになった十次は、医者になるべきか、孤児たちの育成のために生涯を捧げるべきか悩みますが、イギリスで1万人を超える孤児たちを救済したジョージ・ミュラーの感化を受けまして、孤児たちの救済のために生涯を捧げる決心をするのです。今日はその続きです。

孤児たちのために自分の生涯を捧げる決心をした石井十次は、心変わりをしないようにと医学書を全部焼いてしまいます。そして住む人がいなくなった1件のお寺を借りまして、そこで子供たちと一緒に共同生活を始めるのです。2年後には子供たちの数は51名に増えていました。十次はただその子供たちの世話をするだけではなくて、将来自立することが出来るように勉強を教えるとともに、各自の適正に合わせた職業訓練も行いました。子供たちは朝6時に起床して皆で朝のお祈りを捧げ、朝食後の午前中は読み書き算数などの勉強をします。そして昼食の後は、それぞれにあった仕事をするのです。小さな子のお世話をしたり、お掃除や洗濯のお手伝いをする子供たちもいれば、畑仕事や機織り、大工仕事や理髪師の見習いをする子供たちもいたそうです。また十次は子供たち一人一人と部屋で対座して、一人一人からじっくりと話を聞いてから教え諭し、時には叱ったりもする、個別指導を大切にしました。また、子供たちはお腹いっぱい食べれば盗みを働いたりしなくなるだろうと考えまして、食事の時には「おかわり自由」でお腹いっぱい食べさせることを心掛けたそうです。また、十次は子供たちにも職員にも自分たちのことを「石井のお父さん、お母さん」と呼ばせて、どんなに人数が増えても、家族のような親しい交わりを大切にしたのだそうです。

やがて1890年に濃尾大地震が起こり、7000人を超す人々が尊い命を落としました。そのような中で震災孤児となった子供たち93名を引き取った岡山孤児院の孤児の数は、228名となります。さらに、1903年に勃発しました日露戦争で親を亡くした孤児たちや、その翌年に東北地方で起こりました大規模な冷害による大飢饉のために捨てられたり身売りされたりした子供たちをも引き取り、岡山孤児院は1200人もの大所帯となります。それでも十次は15人に一人の割合で母親代わりの女性職員を付けて、実際に「お母さん」と呼ばせて、大所帯になっても家族の温かさを体験できるように配慮したそうです。それは主イエスご自身の生きる姿勢とも共通する生き方でした。

イエス・キリストは決して人を十把一からげに扱うことをなさらず、一人一人の名前を呼んでくださって、一緒に食事の席に着いてくださって、時にはその御手を一人一人の上に置いてくださり、病をいやし、悪霊を追い出してくださいました。そのようにしてイエス様との交わりの中で恵みをいただき、助けていただいた人たちには、何よりもイエス様の愛が伝わったに違いないと思います。人はたとえ食べ物や飲み物があって、病気に罹ることがなくても、自分自身が「愛されており、大切にされている」という実感がなければ、生き生きと生きることは出来ないのです。イエス・キリストはこの人間に最も必要な「本当の愛」を与えてくださる救い主なのです。そしてこのイエス・キリストの愛によって愛され養われた人たちは、イエス様と同じように人を十把一からげに扱うことをせず、自分もまた誰かの名前を呼び、その人に寄り添うことが出来るようになるのです

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