聖書の言葉
主を畏れる人に、主は契約の奥義を悟らせてくださる。
旧約聖書 詩編 25編14節
宇野元によるメッセージ
詩人リルケが、人に贈った言葉があります。 単純なアドバイスです。三つのことが大切であると言っています。単純ですが、含蓄があります。一に、生きること。二に、忍耐すること。三が、働くこと。
「生きること」が「働くこと」よりも先に置かれています。じっさい、もし生きることが確かでないなら、働くことは、難しくなります。働くことは楽しいことばかりではなく、しんどいことは多いからです。そしてしんどいときには、忍耐が必要です。第二に忍耐すること。しんどいとき、そして少しく忍耐するとき、私たちは思います。「どうして忍耐しなければならないのだろう?」忍耐のまえに生きること。よく忍耐できるためにも、生きることが確かであることが大切です。
私たちは、いつも幸いを感じているわけではありません。おもうようにいかないことにぶつかります。生きること。それは、他者や自分の判断によってとらえられません。生きることの値打ちは、目に見えません。
きょうは日曜日。これに耳を傾けてくださりながら、どんなふうに過ごしておられるのでしょう?きょうも働きに出る方がおられるでしょう。今、働いている方もおられるでしょう。きょうはゆっくり過ごして、明日からの日々に備える方がいらっしゃるでしょう。
「とき」というのは、ふしぎですね。風のようにすぎるようにも思われますが、平凡な、一日の道のりだって、決して短くはない、自分にとってじゅうぶん長い、と思います。長い道のり。じゅうぶんな苦労があります。イエスが言われました。「一日の苦労は一日でじゅうぶんである」と。一日のうちにも、思うことでしょう。このことにどんな意味があるのだろう?一日のうちにも予期しないことがあり、深い薮に迷い込むようなことが起こります。
そんなときも、価値ある時の中にある。どんなときも、そう信じて歩みたいものです。「人生は生きるに値する」――このことを、共にある人たちと分かち合いたいと思います。また、次の世代に伝える責任を思います。
けさ、聖書の詩の中から、お読みしました。「主を畏れる人に、主は契約の奥義を悟らせてくださる。」生きることの秘密がここに語られています。
私たちが生きていることの意味は、隠れています。目に見えないひそやかなところに、神の奥義が存在する。深い秘密が存在する。私たちの人生を支えるものは、目に見えないところにある。現代の私たちも、それを「神様」と呼ぶことができるでしょう。けれども、「神様」も隠れているように思います。自分とどう関わってくれているのか、わからないと思います。
聖書は語ってくれます。
私たちの歩みの中に、秘められていることがある。幸いな秘密がある。このことが「契約の奥義」と呼ばれています。イエス・キリストにあって、私たちは、神様との絆をむすんでいただきました。聖書はそれを契約と呼びます。それは、愛の絆です。生きることを支える絆です。また、私たちの日ごとの忍耐を支えてくれる絆です。
このことについて、聖書はまた、こう語っています。
「だれが、キリストの愛から私たちを引き離すことができるでしょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。」
そして、
「現在のものも、未来のものも、力あるものも…… キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すものはありません。」(ローマ8:39)