まことのぶどうの木、イエス・キリスト

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聖書の言葉

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。[…]わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章1,5節

袴田清子によるメッセージ

今回も以前お話ししたことのある「エゴー・エイミ」「私は在る、私は在るという者だ」という言い方で、イエス・キリストが御自身を紹介されている箇所からお話したいと思います。

「(エゴー・エイミ)わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」とイエス・キリストは言われます。御自分が永遠から存在されている神自身である、と語った上で、わたしはまことのぶどうの木であると言われているのです。

ぶどうの木、ぶどうの実という言い方は、旧約聖書において、神様の民であるイスラエルを象徴します。しかし、多くの場合、それは堕落し、神さまから離れてしまった悪い「ぶどうの木」として描かれています。イエス・キリストは、このことを受けて、「わたしはまことのぶどうの木」であると語っておられるのです。「まことの」とは、「偽物」に対する「本物」ということで、御自身こそ信頼に値する、まことの神に属する木であると言われているのです。

そして、「あなたがたはその枝である」と言われます。私たちはぶどうの木につながっているべき枝なのです。枝は、いくつもの枝に分かれていても、つながるっているべき木は一つです。そこから、水分と栄養分とを受け取るのです。

私はぶどうを育てたことはありませんが、調べますと、ぶどうの木は、収穫までに、かなり時間と手間がかかるようです。ぶどうを植え付ける土壌が一番大切ですが、複数の木を植える場合には、かなりの間隔を開けて植え付けるらしいです。それはぶどうの枝がつる状に広がり、場所を必要とするためです。実際に実を収穫するまでには、3年程掛かります。一年目の植え付けた年は、伸びて来た枝を切って短くしてやらなくてはなりません。2年目は、主要な一本を除いて、余分な枝葉を全て切り落として、実が成りやすいようにします。そして、3年目になって初めて実の収穫が許されるのだそうです。そしてその後も、余分な枝と葉を注意深く剪定して、栄養分が分散しないようにするのだそうです。このようにして初めて、ぶどうの実が収穫できるのです。聖書では、このように農夫が何度も剪定を繰り返す必要のある、ぶどうの木と、つながっているべき枝を譬えにして、私たちと神様の関係を説明しています。

主イエス・キリストはわたしにつながっていなさいと言われます。わたしもあなたがたにつながっている。私たちは、この御方につながっていなくてはなりません。つながっていなさいとは、「放っておくと、私達はこの御方から離れてしまう者なのだ、ということを暗示します。だから、「つながっていなさい」と命じられているのです。つながっているとは、この御方を信じるという意味です。イエス・キリストは私たちを造って下さった神様であられるので、私たちが言葉を発する前から、私たちの心の内をご存じです。だから、心をこの御方に向けて、この御方に語りかければよいのです。これが祈りです。神様はどこにでもおられ、私たちの髪の毛一本一本さえも数えておられる御方です。そして、聖書の言葉を通して私たちに語りかけられます。ですので、イエス・キリストとつながるとは、聖書を読み、イエス・キリストに信頼して祈るということなのです。

(エゴー・エイミ)わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

聖書を読むと、罪を示されることがあります。これはつらい経験です。私たちの罪人としての姿を示されるからです。しかし、自分が罪人であるということが分かると、イエス・キリストの十字架が分かるようになります。なぜなら、イエス・キリストは、まさしくその罪のために、十字架に掛かって死んで下さったからです。あなたの身代わりに、罪の罰と裁きを引き受けて、十字架の上で苦しみ死んで下さったのです。このイエス・キリストが十字架の上で死なれたのは、まさしく、あなたの罪が赦されるためだったのです。

イエス・キリストは「わたしにつながっていなさい」と、招いておられます。心を素直にして、「信じさせて下さい」と祈るのです。そうすれば、人知を遥かに超える、神さまの平安が心を守り、祝してくださいます。聖霊を送り、主イエスの方から私達につながってくださいます。

そして、ぜひ教会に行って下さい。教会は、イエス・キリストが満ち溢れておられる場所です。そこには多くの、すでに信じている兄弟姉妹達がいます。教会で、聖書の言葉を学ぶならば、神様のことが少しずつ、しかし、確実に分かるようになります。そして、イエス・キリストとのつながりが生きたつながりとなり、実を結ぶことの者に変えられて行くのです。どうか、あなたが今日、この祝福に預かることができるように、心より、お祈り致します。

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