父親の眼差し

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聖書の言葉

わたしに聞け、ヤコブの家よ

イスラエルの家の残りの者よ、

共に。あなたたちは生まれた時から負われ

胎を出た時から担われてきた。

同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで

白髪になるまで、背負って行こう。

わたしはあなたたちを造った。

わたしが担い、背負い、救い出す。

旧約聖書 イザヤ書 46章3,4節

山中恵一によるメッセージ

私の放送回では、父親の眼差し、というシリーズで、子育てパパの目線で感じ取った聖書のお話をさせてもらっています。

現在、わが家には、3歳半の息子と、この3月で1歳になった娘のふたりの子どもがいます。彼らは、だいたい、1日の大半をリビングで過ごしています。そして、彼らのオモチャのほとんどは、そのリビングに置いてあります。兄妹で仲良く遊んでいる姿は、親にとって、本当に嬉しいものですね。下の子はまだ小さいので、ふたりで同じ遊びをすることは難しいのですが、それでも、意気投合して、毎日ふたりで、楽しんでいるおもちゃの遊び方があります。それは、「散らかす」という遊び方です。まぁ、みごとに散らかすものです。おもちゃの棚の端から丁寧に、しっかりと、おもちゃ箱をひっくり返して行きます。箱に入っているおもちゃも丁寧に、ふたを開けて、しっかり、中身を撒き散らして行きます。そして、その片付けをするのが、妻と私の毎晩のルーティンワークとなっています。

「うちの子どもたちは、散らかしの天才なんじゃないか」と感心しながら、夜な夜な、床に散らかったオモチャを四つん這いになって片づけていきます。すると、息子は、決まって私の背中におぶさって来るんですね。獲物を狩るライオンさながらに、無防備な背中に飛び乗ってきます。どうも、最近、息子はおんぶにはまっているようで、四つん這いになっているときだけでなく、わたしが何もしないでソファで呆けていたりしていると、「おんぶぅ」といって、おねだりしてきます。

この背中の何が、そんなにも彼を惹きつけるんでしょうかね?不思議な気もしますが、子供にとって、おんぶの魅力のひとつは、安心感をおぼえることではないか、と思います。私はそんなに大柄な体格ではありません。それでも、子供にしてみたら大きな背中です。その背中に、自分を委ねられる力強さのようなものを感じ取って、安らぎを得ているんじゃないか。そんな気がします。

今朝お読みした聖書の箇所にも、父親が子供を背負う姿が描かれていました。この父親は神様のことです。「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。」聖書の神様は、わたしたちをおんぶしてくださる神様なんですね。自分では思ったところに行くことが出来ない。神様が望まれるような、人のあるべき生き方を、思うとおりに進んで行くことが出来ない。そんな私たちを神様は、御自分の大きな背中に乗っけてくださって、天国までの道のりをいっしょに進んで行ってくださる、というんですね。

この箇所は、聖書の中では、割と有名で、私も昔からよく知っていた言葉でした。神様におぶわれれば、自分の力では行くことが出来ない場所に行くことが出来る。人生の中で、困難が続く苦しい時期を乗り越えることができる。やがて、私たちの誰もが通らなくてはならない人生の終わりの場面でも、死を乗り越えて、天国へと進んで行くことができる。神様のおんぶは、この世界のあらゆる移動手段を上回って、確実に、そして、安全に、人生の様々な目的地へと私たちを運んでくれます。

しかし、おんぶの魅力とは、子供にとって、ただの移動手段ではありません。子供は、その背中から力強さや、温もり、優しさ、そうしたもの父親の人柄や、自分への愛を感じとって、本当に安らかな気持ちで、自分の身を委ねます。神様に背負われてすすむ人生も、そうですね。神様に自分を委ねるとき、私たちは、その背中から、神様から父親の様な暖かさを得ることができます。

そして、おんぶの魅力には、子供の背の高さでは見ることの出来ない、広い景色を見ることができる、なんて魅力もあります。最近の、育児スタイルでは、おんぶよりも、抱っこ紐を使って、こどもを胸に抱く姿が主流となっていますが、その一方で、おんぶの良さにも再評価がなされているようです。おんぶは、抱っこにくらべて、子供の頭の位置が高くなります。それで、より広い視点を得ることができる。それが、子供の成長にとってもいい影響がある。そんな、ネットの記事を読んだことがあります。神様に負ぶわれて人生を歩むとき、わたしたちは、より高いところから、より広い視点で、人生の景色を味わうことができます。毎日、何かを引っ掻き回して、散らかし放題で一日を終える、やりたい放題の息子を背負って、父親は、息子の喜びのために、その背中を貸すんですね。

ある時、彼をおんぶしながら、鏡の前に立ったことがありました。嬉しそうに笑う息子の顔に、私もにやけながら、気付いたことがありました。当たり前のことですけど、子供をおんぶする時、親は、いつも子供よりも低いところに身を置いている、ということです。神様のおんぶも同じですね。この世界を創られた、すべてを支配されておられる方が神様です。しかし、その神様は、私たちよりも低い所に身を置いてくださって、私たちの喜びのために御自身を費やしてくださる神様です。「私は、ここまであなたをおぶってきた。この先も私はあなたを背負いたいのだ。私は、あなたのために身を低くして待っているよ。この背中に乗って一緒に人生を進んで行こう」神様はあなたのことを招いておられます。

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