聖書の天使

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聖書の言葉

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」

新約聖書 ルカによる福音書 2章8節

宇野元によるメッセージ

20世紀は、想像力豊かな天使のイメージを生みだしています。

たとえば、詩人リルケが「すべての天使はおそろしい」と歌った、か弱い人間と対極にある存在としての天使。リルケが十年の時をかけて完成した大作は、こんな風に始まります。「私が叫んだとしても、天使の秩序の中に、耳を傾けてくれる者がいるだろうか?仮にもし突然、一人の天使が私を心にとめてくれたとしても、その存在の厳しさに、私は消えてしまうだろう。」(『ドゥイノの悲歌』第一)

画家パウル・クレーの、ときに愉快な、ときにさびしげな、ときに謎めいた天使たち。クレーの独特な、絵のタイトルもまた、天使のイメージを豊かにしてくれます。「忘れっぽい天使」「希望に満ちた天使」「泣いている天使」「死の天使」。子どもが描いた絵そのままであるような。また、子どもが感じる世界の神秘や、恐ろしさを、そのまま描いたような。そして、そんな子どもの、大人には見えない、うっかり見落としているものに気づかせてくれる、純粋な姿を描いているようです。

映画「ベルリン・天使の詩」の天使。現代の疲れ切った人々にそっと寄り添う、地味な天使が、美しい映像とともに、印象深く描かれています。交通事故で、路上に投げ出され、意識を失いかけている人。うしろに、風采のあがらない中年の姿の天使が近づき、かがみこんで、その人の頭を両手で支えます。本人にそれと感じさせないほど優しく。…… 人々が空から映される場面が心に残ります。大都会の灰色の群衆。その中にまじる子どもが、じっと目を凝らしています。すると、カイザー・ヴィルヘルム記念教会が映し出され、破壊された塔のてっぺんに、見事な天使の翼が一瞬映ります。

聖書の天使は、クリスマスに欠かせない存在です。クリスマスの雰囲気を演出するのに欠かせない、というよりはるかに深い意味で。イエス・キリストの誕生を記した、ルカによる福音書第2章からお読みしました。羊飼いたちが、夜、野宿をして、羊の群れの番をしておりますと、突然、天使が現われ、まごつく彼らに言います。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」そうして語った言葉が、クリスマスの知らせの中心をなしています。この知らせが、羊飼いたちによって、最初にベツレヘムの町で広められることになります。けれども、羊飼いたちがもたらしたものではなく、天使によるものでした。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」(ルカ 2:11,12)。

「この乳飲み子こそ、救い主キリストである。そして悲しみの多い世界、荒れ野である世界、寄る辺のない世界に与えられた、たしかな望みである」――羊飼いたちは、受けたメッセージを伝えます。ところが人々は「不思議な話」であると首をかしげた。そう聖書は記しています。

救い主の誕生は、人の目に隠れていました。街の片隅での、貧しさの中での誕生。家族のほかには注目する人もいない、小さな存在の誕生にすぎないように思われました。救い主は、私たちの目に、拍子抜けするほど、つつましい姿でお生まれになりました。私たちの目に隠れています。けれどもこの存在が、私たちに与えられています。

このことは私たち人間の想像力を越えています。聞いた人たちが不思議に思ったのは無理もありません。私たちには思いもよらないことです。この知らせは、告げられなければなりません。そこに天使の役割が与えられています。

聖書の天使は、イエス・キリストにある神の恵みが、作り話ではないことを教えてくれます。そして興味深いことです。天使はメッセージを伝えると、たちまち消え去ります。現われたときと同じように。聖書の天使は、私たちの関心を自分に向かわせようとしません。大きな喜びの知らせを、私たちが思いめぐらすために。

「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

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