道であり、真理であり、命である、イエス・キリスト

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聖書の言葉

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 14章6節

袴田清子によるメッセージ

先週に引き続き、今朝もイエス・キリストが「エゴー、エイミ」、「わたしは在りて在る者」という言い方で、御自分の事を紹介しておられる聖書の御言葉から、お話ししたいと思います。

「エゴー、エイミ」すなわち、「わたしは在りて在る者、わたしは道であり、真理であり、命である」と語られた御言葉は、イエス・キリストが十字架に掛けられ、この地上を去られる前に、弟子達に語られた説教の一部です。イエス・キリストは、不安がる弟子達に、慰めと励ましの言葉を語られました。「心を騒がせるな、神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところが沢山ある。…行って場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。…わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」

しかし、トマスという弟子が言いました。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」この質問を受けて、主イエスは今日の御言葉を語っておられるのです。「エゴー、エイミ、わたしは道であり、真理であり、命である。」

「エゴー・エイミ」。その意味は、「在りて在る者」、すなわち、最初から存在する者、聖なる永遠の神御自身という意味です。

イエス・キリストはこの表現を用いて、御自身が神なのだと、教えたうえで、「わたしは道であり、真理であり、命である。」とおしゃっているのです。そしてこの道を通らなければ、だれも父、すなわち天の父なる神様のもとに行くことができない、と語っておられるのです。

道、真理、命の中で、第一にくるのが、イエス・キリストが「道」であるということです。「道」とは、目的地に至る「通路」と言う意味と、それ自身が「目的」である道を意味する場合があります。それ自身が「目的」としての道と理解しますと、武士道、華道、茶道のように、生き方、生きる姿勢としての「道」を意味することになります。

「通路」と考えると、イエス・キリストが真理と命に至る通路としての道であられる、という理解になります。しかし、「通路」と「目的」の両方だと考えることもできます。アウグスティヌスは、その両方を分けずに、一体的に捉えて、「真の命の道」としました。真の命を得るための道、そして真の命の道それ自体と理解しています。

イエス・キリストの生涯、その生きられた歩みそのものが道でした。イエス・キリストは、神様とはどのような御方であられるのかを、身をもってお示しになりました。御言葉を語り、それを教え、生き方と御業で、実際に神様を示されました。悪霊を追い出し、病を癒し、罪人を招き、打ち砕かれた人の心を包み、圧迫と抑圧の下にいる人に、自由と解放を与えられました。

イエス・キリストの歩まれた道は、真理そのものであり、命そのものでした。しかし、その道は、最も低くなり、人間にあざけられ無視される道でした。イザヤ書53章3、4節にはこのように記されています。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。…わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」

イエス・キリストの道は、十字架に掛かり、罪人の罪の罰と呪いを身代わりに引き受けて、父なる神様から完全に裁かれ、見捨てられるという道でした。そして、これこそ、神様が動かしがたい仕方で、神の愛を人類に示された方法なのです。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙Ⅰ4章10節)。神様が、私達を愛しておられることは、神様が御自身の御子イエス・キリストを、十字架に奉げられたことにはっきりと表れています。

神の御子イエス・キリスト御自身が、完全ないけにえとして、十字架に御自身を奉げてくださったので、私達はこのイエス・キリストを通して、父なる神様の御前に、大胆に近づくことができるようにされたのです。

イエス・キリストは、私達を救う道です。父なる神様に受け入れられる、唯一の完全な道なのです。

イエス・キリストという道の目的は、そこを通って歩くということです。イエス・キリストが「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われるとき、イエス・キリストは、あなたにこの道を通って、神様の下に立ち戻って欲しいと願っておられるのです。どうか、あなたもイエス・キリストという道を通って、真理と命を見出して下さい。イエス・キリストこそ真理であり、命そのものです。ぜひ、救いの道を求めて、聖書を読んでみてください。教会に行ってみて下さい。道であり、真理であり、命である、イエス・キリストは、必ずあなたを御自身に引き寄せて下さいます。

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