イエス様がやって来た

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聖書の言葉

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

新約聖書 ルカによる福音書 5章32節

長井正人によるメッセージ

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」これは、主イエス・キリストの言葉です。主イエスが自分は来たとおっしゃったのですが、どこに来たにかというと、この世に来たとまず考えることができます。ただ、この世に来たというだけでは、このラジオを聴いている方々が今いる場所との関わりがないように聞こえますから、このラジオを聴いている皆さんのところに、主イエスはすでに来ていると言うほうがより正確です。目には見えませんが、あなたのすぐ近くに主イエスは来ています。その目的は、罪人であるあなたを天の国へと招待するためです。このラジオを聴いているあなたは、自分が罪人だといきなり言われてどのように感じるでしょうか。自分のところに主イエスが来ていることをどう思いますか。

主イエスが、あなたの所に来るかなり以前に、レビという男の所に来て下さったのです。その時に主イエスは今日の言葉を語りました。レビは、人々から税金を集める仕事をしていたのですが、水増し請求をして自分の富をふやしていた悪人です。複数の社会保険庁の職員が、社会保険料を盗みとって自分のものにしたことが明らかになりましたが、レビも同じことをしていました。お金は必要ですが、お金に自分が支配され始めると、大切な人や家族を悲しませるようなことをしたり、法律をやぶるというような事にもなりかねません。聖書は、そのような行為は、神の道に反しているのだから、神に対して罪を犯していると教えています。

主イエスは、レビ対して、あなたの生き方は間違いだ、神に対して罪を犯し続けることは偽りに生きることだ、あなたはそこから救われなければならない、あなたの命を救うことができる神を信じるあゆみを人生の土台としなさい、と告げて「私に従いなさい」とレビのところに来て語りました。レビは、主イエス・キリストの招きにそのまま従いました。主イエスは、レビの罪を問わず、罪人のレビのところに来て下さり、そのままのレビを救ってくださったのです。主イエスは、あなたのところに私が今日来たのは、あなたを「悔い改めさせるためである」ともおっしゃいました。悔い改めるとは、真の神様に従う生き方をするために、今までの自分の人生を改めることです。レビは、本当の主人である神の教えに従いながら歩むことさえ出来ずにいましたが、主イエスは、その生き方を神の力で変えてくださいました。レビは、自分の罪を認め、生き方を変えたのです。その唯一つの理由は、主イエスの神の力がレビに与えられたからです。主イエスの恵の力によって、レビは自分が偽りの人生を生きていることを痛感しました。真実の生き方を主イエスによって与えられました。主イエスの訪問を受けた人たちは皆同じように偽りの生き方から真実の道を生きる人間へと生まれ変えられるのです。

偽りとは、神の教えに背いていることです。偽りとは、本物ではなく偽もののことです。レビもまた偽りの世に生きていました。偽りの世に苦しめられていました。私たちと同じです。この世の偽りの力は、あなたの人生をすごい力で抑えつけます。不当な苦しみや、差別や格差を生み出し続けています。ですから、自分がこの世の被害者であると感じる方もおられると思います。本当に神がいるなら、なぜ偽りの世で自分は苦しめられるのか。待っていても自分の人生は変わらないではないか。神は、どこにおられるのか。ならば、自分の人生は神よりも確かな、冨や名声で築いていけばいいではないか。お金はここにある。でも、神はこのような自分に目を留めてくださらないではないか。そうやって、偽りに生きることを神のせいにして正当化し始めます。

レビは、神を求めていたのです。神に文句を言いながらも、神を求めていました。「だから、私はあなたのところに来たよ。」そうおっしゃって主はレビを招きました。レビは、その声に神の声を聞いたのです。

偽装という言葉は昨年「食品偽装」が記憶に新しいですが、今年に入りまして「ECO偽装」という問題が世間を騒がせました。この偽装問題はどこにまで波及するのか予想すらつきません。昨年にはその年を象徴する漢字として最も多かったのは「偽」(いつわり)でした。毎年、選ばれた漢字を書き記す清水寺の住職は、テレビカメラの前で深い憤りを感じていると語っていました。

偽りからは「不信感」しか生まれません。一連の偽装問題は人間同士の信頼関係を壊してしまい、不信の連鎖を生み出してしまいます。この問題のみなもとを辿れば、人間自身の偽り、または嘘をつくという困った性質に原因があることは否定できないのです。偽装問題が提示する真理は、偽装という罪は、全ての人間の中にあることです。怒ってばかりでなく、自分という人間の中に偽装罪なるとんでもない闇が存在することを知り悲しむべき事柄なのです。「人間偽装」問題とは、全ての人間の中にある共通の問題です。それは、神への違反ですから深刻なのです。

主イエスは、レビを悔い改めへと導いてくださいました。主イエスは、レビに対して、この世ではなく、あなたが偽りに生きる人間であることを知らせてくださいました。主イエスは、歩み寄り、語りかけ、そして悔い改めの心さえも与えてくださいます。主イエスは、レビを真実に生きる人間へと造りかえてくださったのです。神に対するレビの偽装の罪は、どこへ行ったのでしょうか。それは、主イエス・キリストが肩代わりしてくださったのです。十字架の上で、レビに代わって罪人として神に裁かれたのです。主イエスは、あなたを招いています。「私は、今日あなたのところに来ました」

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