共にいてくださる主イエス

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聖書の言葉

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。

たじろぐな、わたしはあなたの神。

勢いを与えてあなたを助け

わたしの救いの右の手であなたを支える。

旧約聖書 イザヤ書 41章10節

吉田実によるメッセージ

私はこの度『絵画と御言葉』という本を出版いたしました。書店でお見かけの際は是非、手に取ってご覧いただきたいと思いますが、今回は出版記念といたしまして、私自身と絵画に関するお話をさせていただいております。特に私自身が絵の勉強をする中で学んだことや気付いたことを中心にお話させていただいているのですけれども、今日もその続きです。本日はその『絵画と御言葉』という本の最後のページにご紹介しています「彼の荷物」という、私自身が描きました銅版画作品をめぐるお話させていただきたいと願っています。一人の男が得体のしれない巨大な何かを背負って辛そうに喘いでいる。でもその巨大な何かを担いでいる手は、その人の手のようにも見えますし、見方によっては別の人の手にも見える。そんな作品です。

美大を卒業した後、私は公立中学校の美術教師として就職いたしました。当時は「校内暴力」という言葉が連日報道されるほど学校現場が荒れていた時代でしたけれども、なかなか指導に従わない生徒と、強い指導を求める先輩教師との間でわたしは心のバランスを崩し、一時は精神を病んでいたと思います。夜の下宿の部屋で電気もつけずに一人じっと突っ立ったままいつまでも動けない。手足の指が縮こまって伸ばせない。そんな危険な状態の時もありました。しかし本当の危機はその後に訪れました。何とか一年間辛抱をして一年生の担任になり、心のバランスを何とか持ち直した私は、一生懸命頑張って授業や行事や部活動に取り組む中で次第に教師としての技術を身に着け、先輩教師や保護者からの評価も上がり、学校の教師としての生活がむしろ楽しくなっていきました。朝早くから部活動の指導に励み、夜遅くまで職員室に残って仕事をし、そのあとは仲間たちと一緒に夜の街に出て行き「仕事の続き」と称して遅くまで飲み歩きました。そのような生活の中で、わたしは次第に教会から離れていったのです。そんなある日、大変恥ずかしいことですが、お酒を飲みすぎて記憶を失ってしまいまして、気が付くと下宿の部屋で一人血まみれになって倒れていたのです。後でわかったことですが、どうやら近所の溝にはまって顎を深く切るという大怪我をしていました。その時に、鏡に映る血まみれの汚い自分の顔を見て、なぜかわたしは「自分自身の正体」を見たような気がしたのです。「生徒のため」と口では言いながら、本当は「自分の評価」が上がることに快感を覚えているだけの、自己中心の自分であることを強く自覚させられたのです。そして生まれて初めて心から「主よ、罪深いわたしをお赦しください」と祈りました。その時に、実際に聞こえたわけではありませんが「だからわたしは、あなたのために十字架についた」と、今も生きておられる主イエスが私の心に語りかけてくださったような気がしました。そして怪我の療養中に開いた聖書の頁から、次の御言葉がまるで起き上がるかのように私の心に強く迫ってきたのです。「それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です」。ペトロの手紙一4章2、3節の御言葉です。この回心の体験が、その後の私の人生を大きく変えるターニングポイントであったと思います。

「神は本当にいるのか。自分の信仰は、幼いころからの宗教教育によるただの刷り込みではないのか?」などと疑いながら勝手なことを繰り返していたあのときも、このときも、主イエスは私と共にいてくださいました。自分で背負っていると思い込んでいた重荷に押しつぶされないように、陰で支えてくださっていたのは、実は今も生きておられる「主イエスの御手」でありました。そのことにやっと気が付いて、「共にいてくださる主イエス」の十字架の元に重荷を下ろした「あの日」のことを決して忘れないように、しっかりと自分の心に刻み込むために、わたしはあの「さえない男」の姿を銅板に深く刻んだのです。

その後、結局私は画家になることは出来ませんでした。でも、不思議な神様のお導きの中で牧師となる道が開かれ、美術を学んできた牧師という、なかなかユニークな経験の中から、この度の本が生まれたのです。そして今私は思います。その時には「全ては無駄だった」と思えるような時も、「どうしてこんなことが起こるのだ」と思うような厳しい苦難に直面する時にも、私たちのことを命を懸けて愛してくださっている主イエスに従うなら、すべての事は最終的に必ず益となる、と。この主イエス・キリストが、御言葉をもってラジオをお聞きの皆様にも今日、語りかけてくださっています。「恐れることはない。わたしはあなたと共にいる」と。

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