カール・バルトの七戒

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聖書の言葉

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

新約聖書 マタイによる福音書 22章37~40節

宇野元によるメッセージ

神学者カール・バルトと、作家のツックマイアーの往復書簡集、『晩年に贈られた友情』(新教出版社)は、たのしい本です。クラシック音楽がお好きな方は、みなさんご存じでしょう、チェリストのカザルスについて、彼は90歳で、私たちよりもかなり年上だが、今も毎日、チェロの練習をしているそうだ。日々、進歩してゆくのを感じていると言っているよ――そう言うバルト自身は81歳。まだまだ若い、と思っています。

手紙のもう一人の書き手も、70歳を超えています。今の時代に当てはめるなら、二人とも、もっと年上に考えてよいでしょう。この往復書簡集には、私たちが自らの老いをどう生きるかについての示唆や、知恵が散りばめられています。興味深く、また私たちにとって大切に思われますは、彼らが独りの世界に閉じこもるのでなく、常に、交わりの中に身を置いていることです。

聖書が示す人間は、交わりの中に生きる存在であると言うことができます。これを「人間の尊厳」といってもよいでしょう。人間の尊さは交わりに生きることにある。言い換えれば、愛の中に生きることにある。そして聖書に基づいて、それは「三重の愛」であると言うことができます。すなわち、神と、人つまり他者と、自分自身に対して愛の中に生きるところにあると。神と人と自分。この三重の愛において、健やかであるところに。

バルトも、ツックマイアーも、人生を先に歩んできた者として、世界を見つめながら、意見を交わしています。1960年代の終わりのころ。当時、学生運動のリーダーがピストルで撃たれたことが、大きなニュースになっていました。ツックマイアーが書きます。

「なんと言う時代でしょう。このようなことがいつまで続くのでしょうか?永遠に繰り返されるのでしょうか?」社会の混乱を嘆き、将来への憂いを語ります。そして撃たれた青年についても、「盲滅法な行動をしているように見える」と語ります。

それを受けて、バルトは返信に、小さな文章を同封します。何より自分のために作りました、と言って。

「若い人との交わりに関する7つの戒め」というものですが、お気づきになるでしょうか。聖書の十戒に似ています。ユーモアをもって、十戒の言葉づかいを真似て書いています。ユーモアに包んでいます。けれどもまた、お聞きになれば、心からのものであることもお分かりになるでしょう。これは十戒の後半部分の展開とみることができます。十戒は、神と人に対してふさわしくあることについて教えてくれるからです。そして、イエスが語られた重要な第二の掟、すなわち他者を愛することについて考えさせてくれます。

どうぞお聞きください。年下の人との関係に苦労します。考え方の違いに心が騒ぎます。また、すこし先にいる者として、後ろを見て「大丈夫だろうか?」と心配します。そんな私たちが味わうのに良いテキストであると思います。

1あなたは、若い人々が、自らの道を進み、自ら体験し、自らの流儀に従って生活する権利があることを、肝に銘じていなさい。

2あなたは、あなたの実例、あなたの老年の知恵、あなたの愛情、あなたがよいと思う親切な行い、これらのいずれをも、若い人々に押しつけてはならない。

3若い人々を決して自分につなごうとしたり、縛りつけようとしてはならない。

4若い人々が、……あなたのために時間を当ててくれないときや、あなたの忠告をきこうとしないようなときには、驚いてはならない。

5若い人々がこのように振舞うとき、あなたも若い時、年上の世代に対し、おそらくまったく同じように振舞っていたことを、思い起こすべきである。

6若い人々の真実な心遣いや、厚い信頼を、感謝して受けるようにし、そのひとつひとつの現れを見落とさないようにしなさい。けれども、そのような現れを期待してはならない。まして、要求してはならない。

7どんなことがあっても若い人々と縁を切らず、明るく、冷静な心で彼らにつきそい、神を信頼して、彼らも最善をなしうると信じ、常に彼らを愛しつづけ、彼らのために祈りなさい。

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