七の七十倍まで赦す

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聖書の言葉

イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

新約聖書 マタイによる福音書 18章22節

佐野結子によるメッセージ

今日の御言葉は、イエスの弟子のペトロが、兄弟が自分に対して罪を犯したならば、何回赦すべきでしょうか。7回までですかと、という問いに答えられたものです。この話の前には、兄弟が罪を犯した場合、忠告して戒め、悔い改めを促すようにということが語られていました。悔い改めたら赦すけれども、またそれを懲りずに罪を犯してしまうということがある。そういう時は何回まで赦すのかということでした。通常はユダヤ人は、3回まででしたが、弟子のペトロはそれに上乗せして、7回までですかと、問うたのです。7は完全数ですが、8度目は赦さなくていいか、というとそうではない。イエスは、7の70倍までも赦しなさい、という驚くべき言葉を告げます。490倍、もう、際限なく罪を赦すことをお求めになったのです。

この話を、私の娘が小学生の時に教会の子どもの日曜学校で聞きまして、私のところに喜んで来てこう言いました。「お母さん、イエス様がね、7の70倍も赦しなさいって、言ってたよ、良かった~」と、自分が罪を犯す側で聞いていたんですね。

私の娘の話で恐縮ですが、娘は生まれながらに、発達障害と、軽度の知的障害を負っていました。その当時は、まだ社会的に理解や援助も十分に得られず、親も子も、とても苦労しました。いろんな音に反応して集中できず、懲りずに失敗をします。明るく人としゃべりますが、いつも一方通行の会話です。感情のコントロールも難しく、人とトラブルになります。医療機関で診てもらいつつ、特別支援の教育を受けても、なかなか難しかったのです。何度注意をしても、懲りずにまたやってしまう、その度に、ごめんなさいを言わなくてはならない。娘にとっては、人一倍、赦しがほしかったんだなあと思います。こんなに赦してもらえるのだと、うれしくて、主イエスのこの言葉に救いを見い出していました。

その後、小学校で大きないじめを受け、不登校に何度もなりました。こじれてしまったまま、学校を卒業し、その後すぐ非行に走り、家出をして、欲望のままに罪を犯し、自らも心身共に傷を負ってしまいました。私は、神さまの御前に嘆きました。「この子がどうしてこんなに困難と苦悩の中で生きていかなければならないのか、そして神様に逆らっていくのだろうか」と祈りました。ようやく、本人の希望で、障害者施設に入ることになり、生活を立て直しはじめました。久しぶりに、私と共に、教会の礼拝に出ました。その時彼女は思わず、「神様って生きてる!」と叫びました。それは、我に返ったような、不思議な瞬間でした。生ける神さまに、再び出会うことができました。それから、聖書を読みたいと言って、子供用の聖書日課を使って、黙想したことをノートに書き留めていきました。その2年後に25歳で、急な心臓の病のため、神さまのもとに召されました。

その彼女が遺した、黙想した、ディボーションノートのひとつをご紹介します。

2011年1月31日マタイ11章28節

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」

私に当てはまる今日の御言葉。私自身今スゴク疲れきってる気がするんだ。

でも神様が「わたしのもとへ来なさい」と招いてくださってる。だからそれに甘えようと思う。

神さま、私が背負ってる重荷は何ですか?私の重荷は重た過ぎて背負いきれません。

たすけてください。祈り続けたらその重荷はとれますか?どうかどうか軽くして下さい。

こんな私でも招いて下さいますか?もしそうであれば大いに感謝致します!!

神さま本当に本当にたすけてください。お願い申し上げます。

彼女は、すごく疲れている自分に、気づきます。重荷は何なのか、分からないほど、重い。けれども、その背負いきれない重荷を、イエス様の招きに甘えて、おろしていく。重荷を軽くしくれますかと、切実に助けを求めて祈っています。重たすぎる罪の重荷を主イエスのもとにおろして、軽くなり、安らいだのです。生涯を通じて、この赦しの恵みをいただき、天に召された今も、主のみもとで、憩っています。

主イエスは、悔い改めても懲りずに際限なく罪を犯し続ける人間を赦すために、十字架におかかりになりました。私たちは大いなる感謝をささげ、喜びにあふれます。この赦しの恵みを豊かに受けるならば、私たちは、主イエスの忍耐と憐れみをもって、兄弟を心から赦していくものへと変えられていくのです。

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