幸いな人

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聖書の言葉

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 20章29節

李哲敏によるメッセージ

木々の緑が美しい季節になりました。昨日とは違う植物の色と、上に向かってぐんぐん成長する様子を見ると、なぜか自分の気分もエスカレートしてきます。私が感じるこの気持ちの上昇と同じく、今の時期にエスカレートする代表的な二つのものがあると思います。一つは気温で、もう一つは虫です。

私は、べつに虫そのものが嫌なわけではありませんが、蚊に刺されるのは嫌です。それで、毎年、家の中に蚊が入って来るのを防ぐためにいろんな工夫をしています。市販の虫よけ商品がたくさんある中で、私に選ばれたのは、毎年話題のⅭⅯを流している会社の、虫コナーズという商品です。“ほんまに効いているかどうかわからへんね。”

今までの虫よけ商品と言えば、蚊取り線香のにおいと煙か、スプレー式商品の噴射するイメージとにおいが自然に思い浮かびますが、この虫コナーズは煙もにおいもありません。他の会社の商品のなかにはにおいがするものもありますが、私が選んだものは何にもしません。箱に有効成分と虫よけの原理の説明は書いてありますが、商品を箱から出して見ると、ただプラスティックのネットに、同じプラスティックのプレートが入っているだけです。会社は、これまでの商品で慣れ親しんでいた視覚と嗅覚ではなくて、聴覚、すなわち「」と、商品に関する説明で消費者にアピールをしています。

私もはじめてⅭⅯを見た時はⅭⅯ中の人と同じく、「ほんまに効いているかどうかわからへんね。」と思いましたが、テレビから繰り返し聞こえてくる最後の一文の 「ぶらさげないよりだいぶいい!」という言葉を少しずつ信じるようになって、だまされたつもりで買ってみました。その結果、私は毎年これを購入して家の玄関と窓にかけておくようになりました。 もちろん、今年もすでに購入しましたので、夏の夜も恐ろしくありません。

十字架で死なれた主イエスは、御自身が生前に預言されたとおり死んで三日目によみがえられ、弟子たちが集まっていた場所へ現われました。しかし、トマスという弟子はその時、彼らと一緒にいませんでした。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言いましたが、トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました。

それから八日の後、 弟子たちがまた家の中にいた時、トマスも一緒にいて、戸にはみな鍵がかけてありましたが、イエス様が再び彼らの真ん中に現れました。そして、イエス様はトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹にいれなさい。信じない者ではなく信じる者になりなさい」と言われました。すると、トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と主イエスを信じるようになりました。

トマスは、復活のイエスを信じるための感覚的刺激がぜんぜんなかったのではありません。彼はほかの弟子たちからイエス様の復活を聞きました。しかし、彼にとって「いるか、いないか?」を確かめるために慣れ親しんでいた感覚は、視覚と触覚でした。視覚と触覚で確かめらない存在は信じられないのがトマスでした。

キリスト教の神様は目に見えないお方です。しかし、神様は御言葉を通して御自身の存在を証明されます。そして、聖書は神様の御言葉です。

聖書は「初めに、神は天地を創造された」、「神はご自分にかたどって人を創造された」、しかし、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなった。」 と語ります。でも、「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。神の独り子がイエス・キリストであって、イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と語っています。

わたしたちはみな幸福を願います。自分の不幸を願う人は誰もいません。幸福の大前提は、命があることです。 R・トルストイも、「命がある間は幸福がある」と言いました。トルストイによるなら、もし永遠の命があるならば、幸福も永遠にある、と言えます。神は独り子を信じる者に永遠の命を与えられると言われました。これは言い換えれば、神の独り子を信じる者は永遠に幸いな人になるということです。

皆さんだって、今もそして永遠に幸いな人になりたいと願っていると思います。・・・しかし、どうでしょうか?自分が慣れ親しんだ感覚では、イエスの存在と御業はなかなか信じがたい、そんな風に思っていないでしょうか?

ぶらさげないよりだいぶいい!

神の子、イエスは言われました。見ないのに信じる人は、幸いである。まことに幸福になるためには、キリストを信じないより、信じるのが確かにいいです。

このラジオを聞いておられる皆さんは、幸福への最初のステップを踏み出されました。次のステップは聖書の御言葉を信じることです。キリスト教に馴染みのない方は恐れと抵抗感があると思います。最初にそう思うのは当たり前です。そうでありますが、繰り返し神の御言葉である聖書のお話を聞いてみてください。ラジオから、インターネットから、教会での説教から、それらを通して御言葉を聞いてください。そうするときっと神様があなたの心を信仰へ導いて下さいます。それから、信じて踏み出してみてください。そうすれば、永遠の命が、永遠の幸福が与えられます。

「見ないのに信じる人は幸いである。」

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