ぼくには資格がない

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聖書の言葉

ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章37,38節

石原知弘によるメッセージ

先週は、『アンネの日記』のお話をしましたが、今日も第二次世界大戦中のオランダでの出来事をご紹介しながら、聖書のメッセージをお届けしたいと思います。アンネはナチスによる迫害の中で隠れ家にかくまってもらったわけですが、ユダヤ人をかくまってあげた側の人たちにも、多くの物語がありました。そうした人たちを紹介している本に、日本語にも翻訳されているのですが、『三十か月』という本があります。著者のシルト・ウォルターズは、オランダ改革派教会の信徒で、オランダ東部のエンスヘーデという町で理髪店を営んでいましたが、ナチスによる占領下でユダヤ人狩りが始まると、ユダヤ人たちをかくまう地下活動を行うようになりました。そして、妻と子ども三人の家族で住む自分の小さな家の二階に、三十か月、つまり二年半にわたって、四人のユダヤ人家族を迎え入れてかくまったのでした。

ウォルターズが少数の仲間たちと行っていたこの地下活動には、新たに参加を希望する人たちが来ることがありました。ウォルターズたちは、面接をし、その意志が固いことを確認すると、最後に次のような署名を求めました。「万一わたしが敵に捕らえられた場合、いかなる状況下であれ、地下活動に従事する仲間の氏名はけっして明かさないことを、ここに誓って約束します」。そして、ウォルターズによると、これに署名をした人は、仲間には加えなかったそうです。一瞬、「どうして」と思うところですが、このような書面に署名できるとしたら、それは自分の弱さを知らない人だからです。ウォルターズはこう記しています。「自分の忍耐力がどの程度のものかは、実際その場に身を置いてみなければわかることではない。わたしたちが言えるのは、「神を信じて、自分ができるかぎりのことをする」ということでしかなかった」と。

オランダにおける抵抗運動の英雄の一人として知られ、最後はナチスによって殺害されたヨハナス・テル・ホルストという人がいます。このヨハナスは、ウォルターズのもとにやって来て、活動に加わった人でした。最初はとても弱々しい印象の男であったようです。面接をし、最後に書面を見せて署名を求めると、ヨハナスはこう言ったそうです。「すみません。ぼくには資格がないと思います。もしみなさんの仲間になれたら、ぼくは最善を尽くすと約束します。でも、絶対失敗しないと約束するなんて、とてもできない」と。ウォルターズは、この誠実な言葉を聞き、ヨハナスを仲間に迎え入れたのでした。このあとヨハナスは、期待を裏切ることなく、最後まで勇敢に戦い抜きました。ナチスに抵抗する地下活動と聞くと、どれだけの勇気と強さを持った人たちかと思いますが、彼らはむしろ自分の弱さを知っている人たちであり、「ぼくには資格がない」と言える、普通の人たちであったのでした。

聖書には、イエスさまに弟子ペトロがこのように言ったと記されています。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」。勇敢な言葉です。別の箇所では、他の弟子たちが裏切っても自分は裏切らないとペトロは言ったと伝えられています。しかし、イエスさまはこう言われました。「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」。そして実際、このあとペトロは、イエスさまのために命を捨てるどころか、イエスという男などは知らないと三度も言ってしまうことになったのでした。言葉は勇敢でしたが、ペトロは自分の弱さを見つめることができなかったのでした。

私たちも、自分にはこれは難しいかなとどこかで思いながら、つい勇ましい言葉を口にしたり、また、そういう態度を見せたりしようとすることがないでしょうか。ヒーローやヒロインになりたいという思いがあるのかもしれません。もちろん、決して嘘をついたり、だましたりしようとしているのではなく、本気でそう思っているということもあるでしょう。ペトロもこのとき、真剣であったと思います。しかし、どれだけ真剣であっても、その前に私たちは、自分の弱さを知らなければいけないのです。

そして、そのように弱さを知るときに、本当に大切なことを知ることができます。「あなたのためなら命を捨てます」、そう言いながら失敗したペトロは、やがて知ることになりました。それは、ペトロがイエスさまのために命を捨てるのではなく、イエスさまがペトロのために命を捨ててくださったのだ、ということです。ペトロが三度知らないと言い、鶏が鳴いたあと、イエスさまは十字架の死に向かって行かれました。それは、愛する弟子ペトロのための十字架であり、私たちのための十字架でした。イエスさまは、弱さや愚かさを抱えたペトロや私たちのために、その罪を赦すために、十字架にかかってくださったのです。キリスト教信仰は、自分の意志の強さや勇敢さによるものではありません。それはただ、私たちのために死んでくださったイエスさまの愛によって、可能となるものなのです。そして、ペトロのその後の力強い信仰の歩みも、そこから始まったのでした。

今、ラジオをお聞きの皆さんは、勇敢に、強く生きていきたいと思っておられるでしょうか。イエスさまに従って、命をかけて生きていきたいと思っておられる方はあるでしょうか。ぜひそうしてくださいと言いたいところですが、そのためには、まずは立ち止まって、自分の弱さを見つめてみてください。「ぼくには資格がない」、そう言えることこそが、本当に力強く生きていくための本当の資格なのです。

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