心の灯を消されない神

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聖書の言葉

傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。

旧約聖書 イザヤ書 42章3節

宮武輝彦によるメッセージ

先週は、神さまからの声を聞くために、教会の礼拝に集うことの大切さ、また、静まって祈ることの大切さを覚えました。

今、読みました、聖書の言葉は、わたしたち人間が、「傷ついた葦」のように、また、「暗くなってゆく灯火」のように、ともて弱くはかないものであるにもかかわらず、生けるまことの神さまは、わたしたち一人一人に、神さまの公平な裁きが、確かにされることが教えられています。

昨年、2017年は、宗教改革500年の記念の年でした。マルティン・ルターは、当時の教会があまりにも聖書の真理から離れていることに気づかされ、心を痛めます。そして、免罪府の販売に反対して95箇条の提題という抗議文を、ヴィッテンベルクの城の教会の扉に貼るのです。しかし、それが法王の怒りに触れ、破門状を手渡された時、公衆の面前で、この破門状を焼き捨てます。そして、ルターは、ドイツの皇帝からウォルムスの国会に召喚され、ルターの書いた文書を全部取り消すよう迫られます。そのとき、ルターは、皇帝の前でも、自分に与えられた信仰の良心をもって、聖書の真理に立って、こう言うのです。

「私の良心は神の言葉に捕らえられています。私は何物も取り消すことはできないし、取り消そうとも思わない。良心に背くことは正しくないし、安全でもないからです。神よ、私を助け給え、アーメン」(『この日この朝』正木茂著331ページ:10月31日「ひとりの力」)

「傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする」との、神さまの言葉は、たとえひとりであっても、神の前に立ち上がって、ルターの心を証しするものです。

昨年、7月に、男山教会の教会員のご主人が、教会の近くの病院のホスピス病棟で亡くなりました。この方は、若い時分に、洗礼を受けられたクリスチャンでしたが、仕事が大変忙しく、しだいに教会の礼拝から遠ざかってしまわれました。

しかし、晩年には、その教会員の奥様が、ご自宅を開放してくださり、家庭集会をもつことができました。奥様は、ご主人が、教会になかなか行ってくれないことをとても残念に思っておられましたし、また、家庭集会をもっても、出てきてくれるかどうか、案じておられましたが、毎回欠かさず、家庭集会に出られました。それは、本当に、感謝なことでした。

このご主人の葬式の礼拝においても、「傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする」との神さまからの言葉から、お話をさせていただきました。それは、たとえ、信仰を与えられながら、教会の礼拝への出席がかなわなくなっていたとしても、神さまは信仰の灯火を決して消しておられなかった、ことをお伝えさせていただきました。

もちろん、教会の礼拝に毎週集うことができれば、それが、一番良いことかもしれません。けれども、神さまは、その時にかなって、一人一人をよきにとりはからっておられることに気づかされます。それは、信仰は、人の功績や努力によって得られるものではなく、神さまからの恵みであり、それを生かして用いるのも、神さまの恵みであることを物語っていると思います。

先週、ご紹介した、大塚野百合さんの書かれた讃美歌をわかりやすく解説した本の一つ『賛美歌・聖歌ものがたり~疲れしこころをなぐさむる愛よ』(創元社)に、この後、聞きます、「日くれて四方はくらく」の歌詞が、一部、訳されています。

(一節)私と一緒に住んでください。夕暮れですから。闇が深まっています。主よ、私と一緒に住んでください。ほかの助け手や慰めが逃げ去るとき、よるべのない者の助けである主よ、私と一緒に住んでください。

(二節)人生の終わりが迫っています。この世の喜びは薄れ、栄光はすぎさってゆきます。変化と衰退が私を取り囲んでいます。変わることのない主よ、私と一緒に住んでください。

(三節)私が求めるのは、主よ、私を一瞥し、ひとことかけて去られるのではなく、み弟子たちと一緒に住まわれたように、親しく身を低くし、忍耐をもって自由に交わってくださることです。「一時的滞在」ではく、「一緒に住んで」くださることです。(以下、略)

この「日くれて四方はくらく」を作詞した、死を目前にしたヘンリー・F・ライト牧師が、作詞したものです。そして、このヘンリーの残した歌も、「傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すこと」のない、神の御守りを歌っていると言うことができます。それは、人生の終わりが迫り、人の目には最も心細いときにこそ、十字架の死から三日目に復活された主イエスが、エマオの途上で、心を燃やされた弟子たちに引き留められ、「いっしょにお泊まりください」(ルカによる福音書24章19節)と言われたように、今、わたくしたちも、「イエスさま、いっしょに泊まってください。住んでください」と祈るように、聖霊なる神さまが、わたくしたちの心に信仰の灯火を与えてくださるのです。

春の陽射しが段々と近づいてくる今日、わたくしたちの心が、日に日に、復活の主イエス・キリストの恵みによって、強められていきますように。そして、たとえ小さな、信仰の芽生え、良心の気づきでありましても、その灯火を決して消されることのない御方がおられることを知ってくだされば、本当に幸いです。

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