共に生きる

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聖書の言葉

わたしは主をたたえます。

主はわたしの思いを励まし

わたしの心を夜ごと諭してくださいます。

わたしは絶えず主に相対しています。

主は右にいまし

わたしは揺らぐことがありません。

わたしの体は喜び、魂は踊ります。

からだは安心して憩います。

旧約聖書 詩編 16編7節

宮﨑契一によるメッセージ

私が大学生の時のことですけれども、私がいた大学では、年に一回リトリートという名前の、聖書からいろいろな講演を聞いて学ぶ、という集会がありました。それは普段の大学のキャンパスから離れて、一泊二日ほどで行われていました。

学生であった私も参加をしまして、その夜はロッジのようなところで、学生が4人ずつぐらいで泊まりました。私と同じ部屋の学生は、いずれも、普段から仲良くしていた人たちで、私も他愛もない話をしながら、夜ずっと過ごしていました。

その時に、その中のある一人の学生が、不安な顔になっていました。聞いてみると、どうも、いつも飲んでいた薬を学校に置いてきた、こう言うのです。その学生は、精神的な病気を持っていた人でした。恐らく、抗うつ剤のようなものだったと思うのですけれども、それを、一日に一回は飲まなければいけない、でもそれを置いてきてしまった、ということだったのです。

その集会があった場所は、山に囲まれているようなところです。近くに病院はありません。また大学に戻るにしても、そこはあまりにも離れ過ぎていました。その学生は、とても不安そうな顔でした。それが無ければ、自分はどうなるのか、そういう不安でいっぱいだったのだと思います。

その同じ部屋の中に、その彼の同級生がもう一人いました。その同級生は、自分がこの人と一緒にいる、と言って、彼ら二人は部屋の中に入って行ったのです。それを見た私は、一緒にいてくれる人がいることに少し安心をしました。そして、もう一人の学生と、他愛もない話をまた続けて、その夜は寝たのです。

その翌日になって、私が起きてみると、しばらくして、その二人の学生が部屋から出てきました。私が、まさか一晩中起きたままでずっと部屋にいたの、と聞くと、彼らはそうだと答えたのです。私はその時、驚きました。同級生が一緒で、安心して少しは眠ることができたのではないか、と思っていたのです。けれども、病気の彼は、一晩中眠ることができなかった。そして、彼の同級生は、その間ずっと彼と一緒にいた、というのです。

その病気を抱えた学生は、同級生の彼が一緒にいてくれて本当にありがたかった、彼に助けられた、と言っていました。その学生の言葉を聞いた時に私は、ああ自分は、この病を抱えた人の本当の友人ではなかった、と思わされました。それまでは私は、自分はこの人の友人だと思っていました。でも、結局は、その人が一番助けを必要とする時に助けとなることができなかった、むしろ私はその夜平然として他愛もない話をずっと続けていました。一晩中同じ部屋で傍らにいたその同級生の彼こそ、本当に病の彼の助けになったのだ、本当の友人だったのだと思わされたのです。

私たち人間は、自分がたった一人で生きて行くことはできません。家族であれ、友人であれ、共に生きる人が私たちには必要です。自分が本当に、難しい状況の中にある時、不安な思いや、恐れの思いがある時、または病気の時、人は自分を助けてくれる人、その傍らにいてくれる人、そういう存在を必要としています。私たち一人一人がそういう友を必要とする存在です。

聖書の中にあるイエス・キリストは、そのように私たちと共にいてくださる方と言えます。イエスは聖書の中で、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と御自分の方からこのように言われました。私たちが本当に必要とする時、大きな不安、怖さの中にある時、私たちが求めれば、共にいてくださる方です。イエス・キリストは、地上に人としてお生まれになりました。それは、人間と共に生きるためです。

この方は、当時の貧しい人たちや、世の中から虐げられていた人と一緒に食事をされました。御自分の方から近寄って行かれて、その手を差し伸べられました。そして最後は、一人一人のために、この方は御自身の命を捨てられました。十字架にお掛かりになり、しかしイエスは復活をして、天に上げられて、今も生きて私たちと共におられます。今も共に生きてくださる方です。

私はその大学の経験の中で、自分には本当の愛は無いことを知らされました。むしろ、助けを求める人を前に、本当に自分勝手に、都合の良いように、過ごしていました。思い出すだけで、愕然とするような思いにさえなります。

しかし、そのようなわたしとも共にいてくださり、共に生きてくださる方がおられます。それがイエスです。この方は、わたしに生きる喜びを与えてくださいます。不安や恐れを覚える夜も共にいてくださいます。そして、このイエスによって、私も同じように生きることができる、人の本当の友となることができる、このことを私も信じることができるのです。イエスを信じるということは、わたしの生き方、またあなたの生き方を新しくするものです。最後にこのように共にいてくださる聖書の神である主をたたえた聖書の言葉をお読みします。

わたしは主をたたえます。

主はわたしの思いを励まし、わたしの心を夜ごと諭してくださいます。

わたしは絶えず主に相対しています。

主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません。

わたしの体は喜び、魂は踊ります。

からだは安心して憩います。

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