真理はあなたたちを自由にする

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章32節

望月信によるメッセージ

先週は、神の御言葉は交通ルールのようなものであると申し上げました。今日は、神の御言葉は重力のようなものである、ということをお話したいと思っています。

私たちは、普段、地球上で生きており、地球の重力の影響のもとに置かれています。ただ、普通に生活していて、重力を感じたり、重力を不自由なものだと考えることは余りないでしょう。わたしは子どもの頃、運動が苦手で、ジャンプをしても余り高く飛ぶことができませんでした。そんなとき、重力がもう少し小さければ、もっと高く飛べるだろう、月の重力は地球のおよそ六分の一だと聞いて、月に行けばどのくらい高く飛べるのだろうかと想像したりいたしました。そうして、重力がなければ人間はもっと自由に動けるのではないかと思ったりしたのですが、アメリカのスペースシャトルで宇宙飛行士が船外活動をしている、宇宙空間で作業をしている映像をニュースで見て、たいへん驚きました。宇宙空間では地球の重力の影響が少ないから、もっと自由に動けるのかというと、とんでもない。重力がないと空気もなく、空気抵抗もありませんから、動くことがとても難しい、そして、いったん動いてしまうと、簡単には止まることができない。むしろ不自由になってしまう、ということを知りました。人間は、地球上で重力があり、空気があって、空気による抵抗がある、そういうところでこそ、実のところ、自由に動くことができるのだそうです。

神の御言葉は、その重力に似ている、と思います。重力は物理的な一つの方向性を地上を生きる私たちに与えます。すなわち、地球の中心に向かう方向性を与える、それによって、決して不自由にするのではない、自由にするのです。それに似て、神の御言葉は、私たちの心に一つの方向性を与える、霊的な方向性、精神的な方向性と言うことができるでしょう、あるいは倫理的、道徳的な方向性と言うこともできるでしょう。いずれにせよ私たちの心にある一つの方向性を与えて、私たちを自由にする、決して不自由にするのではなく、自由にするものなのです。

東京都にある国立国会図書館の入口に、「真理はわれらを自由にする」という言葉が掲げられています。「真理はわれらを自由にする」という言葉は、国立国会図書館法の前文に記される、国会図書館の理念だそうです。少し調べてみますと、かつての戦争の時代には真理を知る権利が奪われていたため、正しい判断を下すことができず、悲惨な結果に至ることとなった。すなわち、真理をだれもが正しく知ることできることが日本国民の平和と幸福の土台となる。それゆえ、国会に奉仕すると同時に国民に情報を提供するために国会図書館が設置されている、ということです。初代館長の金森徳次郎は日本国憲法の生みの親と呼ばれる人物であり、戦争に対する反省から真理を知ることの重要性を訴えたのだろうと思われます。

「真理はわれらを自由にする」。この言葉は、由来をたどると聖書の言葉であると言われます。それがヨハネ福音書の「真理はあなたたちを自由にする」です。実は、国会図書館の入口には、この言葉も聖書の原語であるギリシア語で掲げられています。日本語の文章は「われらを自由にする」なのですが、ギリシア語では「あなたたちを自由にする」となっていて、明らかに聖書の言葉です。どういう経緯でギリシア語が掲げられることになったのかは、今となっては分からないようですが、とても興味深いことだと思います。

「真理はわれらを自由にする」と言うとき、その主語となるのは我らであり、自分たちです。私たちが真理を探究するのであり、真理をわきまえてこそ、正しい判断を下すことができる。それに対して、「真理はあなたたちを自由にする」と言う場合、自由にされる「あなたたち」が私たちであり、主語となるお方、語るお方は聖書の神であられるまことの神です。そして、その場合の真理は神の真理にほかなりません。神の真理が私たちを自由にする、というのです。

わたしは、この両方をどちらも大切にしたいと思っています。私たち人間には考える力が与えられ、物事の真理を探究する知恵が与えられています。ですから、自ら真理を探究し、正しい判断を下せるものでありたいと思います。それと同時に、人間の探求する真理には限界があることをわきまえて、神が与えてくださる真理によって自由にされるものでありたいと願います。真理とは、私たちを不自由にするものではありません。真理はどんな真理であれ、一つの方向性を指し示します。重力のように余り意識されることはないかもしれませんが、真理は正しいことを示すのであり、私たちに一つの方向性を与えます。そして、人間の真理は、置かれた状況や時代によって変わることがあるでしょう。時に間違ったことを真理としてしまうこともあるかもしれません。それに対して、神が与えてくださる真理は時代が変わっても変わることがない、普遍的なものであると思います。その普遍的な真理によって自由にされて生きるものでありたいと、願うのです。

今、私たちは、価値観が多様化し、メディアが伝える情報も入り乱れていて、真理を真理として見いだしにくい時代状況の中に置かれています。ですから、とりわけ神が与えてくださる普遍的な真理によって自由とされることが大切です。普遍的な真理を求めて、聖書に親しむことを大切にして参りましょう。

関連する番組