針の穴を通るラクダ

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聖書の言葉

イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

新約聖書 マタイによる福音書 19章23節

吉田隆によるメッセージ

前回に引き続き、ラクダのお話です。今年の夏の休暇に、初めて鳥取の砂丘に行ってきました。本当に日本にあんな風景があるんだと思えるくらい、印象的な風景でした。真っ青な空と、真っ青な海の間に広がる砂丘の風景はまるで外国のようです。で、そこにラクダが加われば完璧だと、あるお店の主人が思いついて、何と鳥取までラクダを連れてきてしまった。初めは、その幻想的な風景をバックにラクダと写真を撮るだけだったのが、お客さんのリクエストで、ラクダに乗れるように調教したのだそうです。10分程度の砂漠旅行なのですが、一人乗りが1300円、二人乗りが2500円だったでしょうか。結構、いい商売ですよね。でも、ラクダも楽ではありませんから、しょうがありません。私も、本当は乗ってみたかったのですが、おサイフと相談して、子どもたちだけを乗せることにしました。やっぱりラクダの背中に乗るとそうとう高くて、ゆっくり歩いてもかなり揺れるのだそうです。

さて、このラクダという生き物は、さすがに文明の発展に貢献してきた動物だけあって、調べて見ますとなかなかこれが優れもの、と申しましょうか、いくつも驚くべき生態が明らかになっています。あの背中の瘤が水ではなく脂肪だというのは知っていましたが、そのかわり水分を血液の中に大量に含んでいるとか、砂嵐から守るためにハナの穴を閉じたりできるとか、砂地に沈みにくいように足の裏がクッションになっているとか、高熱になりやすい砂地でも膝まずけるように膝の部分が分厚くなっていたりとか。実にスゴイ動物なのです。

このラクダという動物は、聖書に、特に旧約聖書には何度も登場します。やっぱり聖書の世界は乾燥地帯なのだなあと改めて思います。ですが、新約聖書になるとわずか2、3カ所に出てくるだけです。なかでも最も有名なのが、最初にお読みした言葉でしょう。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。実は、イエスがこの言葉を語られる直前に、一つの出来事があったのです。一人の若者がイエスの所に来て、「先生、永遠の命を得るには、どんな良いことをすればよいのでしょうか」と尋ねました。イエスが、これこれこうしなさいとおっしゃると、青年は「そんなことは皆守ってきました、他にもまだ何か欠けたことがありますか」と言い返すのです。まあ、実に模範的な青年だったのですね。ところが、イエスが「もし完全になりたいのなら、持ち物を貧しい人たちのために売り払い、それから私に従ってきなさい」とおっしゃると、何ということでしょう、この若者は悲しみながら立ち去ってしまうのです。永遠の命を求めていたはずなのに、それよりも手放せないものがあったのですね。そうして、イエスが周りの弟子たちにおっしゃったのが、先ほどの言葉だったというわけです。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。当時のユダヤ人がよく目にした最も大きな動物、それがラクダだったのでしょう。そんな大きなラクダが針の穴を通ることなど不可能、つまり、お金持ちが神の国に入ることは困難、いや、ほとんど不可能だとイエスはおっしゃったわけです。なぜでしょうか。

私は、このラクダと針の穴の喩えを聞くと、いつも思い出すことがあります。それは、商店街のお祭りなどの時によく見かける「現金つかみ取り」というイベントです。ガラスの容器などに10円玉とか100円玉がたくさん入っていて、それを容器の狭い入口から手を突っ込んで、取れるだけ取ることができるというアレです。それは手の大きな人がガバッと取れば、結構取れるんじゃないかと思いますよね。ところが、ここにカラクリがあります。大きな手でたくさんつかめばつかむほど、手を外には出せなくなるからです。お金持ちと神の国も同じでしょう。これだけは失いたくないと、この世のものをガバッとたくさん握りしめていればいるほど、神の国に入れなくなってしまう。

実は、どこかで読んだことがあるのですが、ある所に本当に「針の穴」と呼ばれる低く狭い門があって、そこを旅人が通り抜けるには、ラクダから荷物を降ろして、ラクダも自分もひざまずくようにして通らなければ通れないのだそうです。自分の人生にこびりついたすべての重荷を降ろして、この世の富への執着を捨てて、神様の前に謙遜になってひざまずいてくぐる門。それが天国に至る「針の穴」と言えるかもしれません。が、そんなこと誰にもできませんと嘆く弟子たちに、イエスは、「人にはできないが神にはできる」とおっしゃいました。たくさんの物を握りしめて固くなってしまった心を柔らかにして、すべてを手放してもなお失われない喜びを与えてくださるのは、神です。その時、人は「針の穴」をも通ることができるのでしょう。実際、神様にすべてを委ねて歩む人生こそ、本当の意味で、ラクダと言えないでしょうか。失礼しました!

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