ラクダになりたい!?

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聖書の言葉

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

新約聖書 マタイによる福音書 6章24節

吉田隆によるメッセージ

我が家の長女がまだ小さかった頃のことです。教会の日曜学校でお絵かきをしました。先生が「みんなが大きくなってなりたいものを描いてごらん」とおっしゃったようです。男の子はプロ野球の選手とか電車の運転手とか、女の子はケーキ屋さんとか幼稚園の先生とか、それぞれ描いたようなのです。ところが、日曜学校が終わってから、先生が――娘はユイというのですが――「ユイちゃんがこんな絵を描きました」と言って見せてくれたのが、何とラクダの絵だったのです。これは衝撃的でした。大きくなったら「ラクダになりたいのか」と。この子はいったいどういう子なんだろう。はたして人間に生まれてきてよかったのだろうかと、思ってしまいました。で、後から娘にその絵を見せながら、恐る恐る「お前は大きくなったらラクダになりたいのか」と問いただしたところ、首を横にふりながら「ん~ん。ラクダに乗りたいの!」と言うのです。こちらは胸をなでおろすやら、おかしいやらで、もう20年以上も昔のことですが、ずっと記憶に残っていました。それで、この夏、娘の誕生日が近かったこともあって、あの時の願いをかなえてあげようと、家族で鳥取砂丘に行きまして、ラクダに乗せてあげたのです。良い思い出になりました。

さて、「ラクダになりたい」と、「ラクダに乗りたい」。たった一字違うだけで、全然意味が違ってきますね。ということで、ここからが今日の聖書のお話です。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」。これはイエスがおっしゃった言葉です。「神」と「富」。日本語では、たった一語の違いですが、どちらに仕えるかで、人生に大きな違いを生んでしまうということなのです。もちろん、この聖書の言葉は翻訳ですから、「神」と「富」の元の言葉はそれぞれ違います。ところが、おもしろいことに、ここで「富」と訳されている言葉は新約聖書の元の言葉であるギリシャ語ではなく、当時のユダヤ人たちが使っていたアラム語の「マモン」という言葉が、そのまま使われているのです。ですから、本当は、ここはカタカナで書いた方がよい。つまり、イエスは、「あなたがたは神とマモンとに仕えることはできない」とおっしゃったのです。「マモン」というのは、アラム語で「富」という意味ですが、ここではまるでその「富」というものが人格を持っているかのように、「マモン」という名前のお化けのように表現されているわけです。また、「仕える」という言葉は、奴隷や僕が御主人に仕えるという言葉です。ですから、「神」と「富」は、確かに元々の言葉としては全然違う言葉なのですが、実体としてはと申しましょうか、私たち人間の人生に及ぼす影響としては、まるで同じような力を持っている。同じように私たちの人生を支配する、しかし全く異なる二人の主人として描かれているわけです。そして、それら二つの主人に、私たちは同時に仕えることはできない。どちらか一方にしか仕えることはできないと、イエスは言われるのです。

日本語に「金の亡者」という言葉がありますよね。辞書で調べてみますと、「亡者」というのは、元々、成仏できないでこの世をさまよっている魂を指す言葉なのだそうです。この世の富にばかり心が縛られていて、死んでもなおこの世に執着しているという、まさに富の奴隷になっている、マモンの奴隷となっている人間の貪欲さを表す言葉です。

もちろん、聖書はこの世の「富」などどうでもよいと教えているのではありません。たとい神を信じる信仰者であろうと、この世で生きて行く以上、富は大切ですし、富が無ければ何もできないでしょう。しかし、そのことと、「富」の僕になる、奴隷となるというのは全く別の事です。「富」の奴隷は、人としての心さえ失ってしまう。人間としての道を踏み外してしまう。そうなりかねない。人よりも「富」を優先させるからです。人の命よりも利潤を何より優先させるブラック企業を考えれば、わかりやすいかもしれません。「富」の奴隷になるということは、恐ろしいことなのです。

しかし、もう一人の主人である「神」というお方、少なくとも聖書が教える「神」と言う方は、私たち罪深い人間を救うために御自分の御子をさえ惜しまずに与えてくださった方なのです。自分自身の事よりも、自分の僕たちのことをまず考えて、僕たちの幸せのために命がけで尽くしてくださる方なのです。そして、その僕たちもまた、他の人のために生きるようにと励ましてくださるお方であります。このような方を主人として歩むということは、いかに人間にとって幸いな、そして大切なことではないでしょうか。

「ラクダになりたい」のか「ラクダにのりたい」のか、それは笑い話で済むことでしょう。しかし、「神」を主人にするのか「富」を主人にするのか、それは私たちの人生の方向を大きく変えてしまいます。この日曜日、何が自分の人生の主人になっているのか、もう一度振り返ってみましょう。

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