かけよる愛

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聖書の言葉

「旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』」

新約聖書 ルカによる福音書 10章33節

岩崎謙によるメッセージ

今日のお話は、先週の続きです。駆け寄ってくれた善きサマリア人の姿に思いを向けます。祭司とレビ人は、半殺しの人をチラッと見ただけで、反対側を通り過ぎていきました。サマリア人だけが彼に駆け寄り、助けました。そして、サマリア人の親切は、徹底しています。傷に葡萄酒を注ぎ消毒し、油を塗り、傷を保護し、包帯を巻き、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行き介抱しました。翌日になり、商売に出かけますが、宿屋の主人にお金を渡して介抱を頼み、商売が終わったら戻って来て最後まで面倒をみると約束します。なぜ、サマリア人は、これほどのことができたのでしょうか。祭司とレビ人と何が違ったのでしょうか。聖書は、この点に関して次のように説明しています。

「サマリア人は、そばに来ると、その人を憐れに思い、近寄って」とあります。祭司とレビ人になく、サマリア人にあったものは、憐れに思う心でした。この心が発動し、彼は駆け寄る人になりました。憐れに思いを直訳すると、はらわたの思いです。日本語では、はらわたが煮えくりかえるほど怒る、という表現があります。聖書は、はらわたから溢れる愛の表現として、はらわたを語ります。憐れに思う時、はらわたから愛が溢れてくる時、自然と体が動きます。体を心底から突き動かす思いが、はらわたの愛です。

今日は、このことを実践した一人の人を紹介しましょう。国際赤十字の父、アンリ・デュナン(1828~1910)です。彼は、この善きサマリア人の喩えに押し出される形で国際赤十字を始めました。彼の墓には白っぽい石で作った善きサマリア人の彫刻があります。彼は、少年期から青年期にかけて、両親の影響を強く受けました。父はジュネーブ孤児収容所の局長、そして母もそこで働いていました。特に敬虔なクリスチャンであった母は、アンリを連れて貧民街を定期的に訪問したり、大勢の孤児を自宅に招いたりと公私の別なく慈善活動に奉仕しました。彼は、当時のことを次のように回想しています

――私はこうしてわずかではありましたが、暗い裏町で 家畜の小屋を思わせるような住まいの中を支配する不幸と悲惨を知りました。われわれの真の敵は、隣国ではなく、飢え・寒さ・貧しさ・無知・迷信・先入観 であることを、そして個人がいかに無力かということも、そして、この恐ろしい貧窮を克服するためには、全人類が立ち向かわねばならないということを理解したのです。――

アンリにとっての敵は、不幸と悲惨さを放置するこの世の生き様でした。彼は、幼いときから、困った人の立場から物事を見る目を養われていたのです。そして、戦火の中で、敵味方に関係なく怪我をしている人に駆け寄る人になりました。

善きサマリア人の喩え話を聞いていた律法学者は、隣人を愛することがあっても、困り果てた時、誰かに助けてもらったことはあまりなかったのではと思われます。一般論ですが、医者が患者の立場で考えること、頭のよい教師が理解力に欠ける生徒の立場で考えること、これはかなり難しいことではないと思われます。しかし、困った人の立場で考えることができないなら、困った人に駆け寄ることはできません。困った人の立場から物事を見る目を通して入ってきた情報だけが、はらわたに届き、はらわたの愛となり、駆け寄る行為を引き起こします。

実は、聖書において、憐れに思う愛、はらわたの愛が語れますのは、主イエスの愛を指し示す場面に限られています。善きサマリヤ人の喩え話を語られた主イエスの眼差しこそ、困った人の立場から世界を見る眼差しです。善きサマリア人の喩え話を語られた主イエスこそ、本当の善きサマリア人です。主イエスこそ、困った人の目線から見て、憐れに思い、駆け寄ってくださるお方です。自分を顧みますとき、はらわたの愛がなかなか発動しない、愛の枯渇が、自分の心に宿っていることを思わされます。主イエスの愛の姿を学べば、学ぶほど、かけ離れた自分の姿に絶望する思いを抱かざるを得ません。しかし、その時、主イエスの駆け寄る愛が心に沁みます。主イエスは、隣人を愛せず、愛において身動きが取れなくなっている自分に、憐れみの心をもって駆け寄ってくださいます。主イエスと出会う喜びが、教会で、あなたを待っています。

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