自己正当化の罠

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聖書の言葉

彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。(中略)「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

新約聖書 ルカによる福音書 10章29節

岩崎謙によるメッセージ

聖書には多くの戒めが記されています。「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めは、最も大切な戒めの一つです。これに反対する人はいないのではないか、と思います。しかし、「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めは、何を求めているのでしょうか。その真意は、当時の律法の専門家にもよく理解されていませんでした。主イエスは、喩え話をもって解きあかしてくださいました。

強盗に襲われ半死の重傷を負った旅人がいます。おそらく彼はイスラエル人です。そこに、祭司が、通り掛かります。祭司は、神殿において神と人に仕える仕事をしています。彼は気付きましたが、あえて反対側に行き、通り過ぎました。次に来たレビ人は、祭司のもとで働いています。彼も気付きましたが、あえて反対側を行き、通り過ぎました。祭司とレビ人は聖職者で、「自分のように隣人を愛せよ」という戒めを知っていたはずですが、実践できませんでした。三番目に通り掛かったサマリア人だけが、倒れている人のもとに駆け寄り、介抱し、彼を助けました。

この喩え話には、「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めが大切であることを知っていることと、実際にそれを行っているかは全く別なことだ、という厳しい指摘が含まれています。喩え話の中心が、実践の強調だけであったなら、律法の専門家は素直に受け入れることができたでしょう。しかし、この喩え話には、律法学者の度肝を抜く内容が隠されていました。主イエスが喩えを語られたとき、イスラエル人とサマリア人とは犬猿の仲でした。街で会話を交わすことはなく、サマリア人がイスラエル人に駆け寄ってきて助けるなど、本来は、あり得ないことでした。律法学者にとって、イスラエル人なら同胞であり、自分の隣人です。律法学者にとっては、「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めは、「隣人のイスラエル人を自分のように愛しなさい」という意味でした。主イエスは、彼がそのようにこの戒めを理解していることを承知の上で、この喩え話を語られました。

もし、主イエスが、喩え話ではなく、律法学者に直接、「あなたは、サマリア人を隣人として愛していますか」と問うたなら、彼はどのように答えたでしょうか。きっと、「サマリア人はわたしの隣人ではありません。ですから、『隣人を自分のように愛しなさい』という戒めをサマリア人に適用する必要はありません」と答えたはずです。律法学者は、自分が隣人だと思っていない人を愛さなくても、それはこの戒めとは無関係だとみなしたはずです。律法学者は、自分で隣人が誰であるかを決め、その人を愛して、自分は「隣人を愛しなさい」という律法を守った、と自負していました。聖書は、彼を「自分を正当化」する人と表現しています。主イエスは、この喩え話で、自己正当化の罠から律法学者を救い出そうとされたのです。

この喩え話を、強盗に襲われた人の目線で語り直してみましょう。「向こうから同胞の祭司がやってきました。襲われた人は、助けてもらえると思っていましたら、祭司はチラッと見るだけで、向こう側を通り過ぎました。次に同胞のレビ人が来ました。襲われた人は、助けてもらえると思っていましたら、レビ人もチラッと見るだけで、向こう側を通り過ぎました。次に、敵対しているサマリア人がやってきました。襲われた人は、助けてもらえないと思っていましたら、サマリア人は駆け寄ってきて、包帯を巻き、宿屋にも連れて行ってくれ、助けてくれました」。

主イエスは、この喩えを話して、律法学者に「誰が襲われた人の隣人になったか」と問われました。律法学者は、「助けた人です」としか答えようがありません。「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めは、敵味方に関係なく、困った人に駆け寄って、「その人の隣人になる」ことを求めています。「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めにおいて、困った人に自分のことを隣人と思ってもらえるか、また、自分は誰の隣人になろうとしているか、このことが問われています。このように理解するなら、「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めを守れる人は、誰もいないでしょう。駆け寄る人になれていないのに、自分の好きな人だけを愛して、それで良しとする自己正当化の罠に、多くの人が捕らわれています。わたしもそうです。主イエス・キリストこそ、本当の御言葉の意味を説き明かし、本当の自分の姿を教えてくださいます。主イエスから、御言葉を学び、自分を見つめ直してください。これは苦しい作業となるでしょう。しかし、真理の道を教えてくださる主イエスと出会う喜びが、教会で、あなたを待っています。

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