あなたを背負う神

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聖書の言葉

同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで

白髪になるまで、背負って行こう。

わたしはあなたたちを造った。

わたしが担い、背負い、救い出す。

旧約聖書 イザヤ書 46章4節

宮﨑契一によるメッセージ

私は先日、ある方から、一通のお葉書をいただきました。そのお葉書の裏に一つの詩が書かれていました。それは、聖書の神様は主というお名前ですけれども、この主である神が一人一人の人生を背負っておられる、という内容の詩でした。「あしあと」という名前の詩です。今朝はその詩をお読みします。

「あしあと」

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

わたしと語り合ってくださると約束されました。

それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

ひとりのあしあとしかなかったのです。

いちばんあなたを必要としたときに、

あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

わたしは、あなたを愛している。

あなたを決して捨てたりはしない。

ましてや、苦しみや試みの時に。

あしあとがひとつだったとき、

わたしはあなたを背負って歩いていた。」

このような詩です。この詩を歌っている「わたし」は、これまでの自分の人生を振り返っています。そして、そのどの光景にも、砂の上には2つの足跡があった、このように言うのです。一つは私の足跡、もう一つは、主の足跡。

しかし、私の人生の最後の光景の時、そこにはたった一つのあしあとしかなかった、こう言うのです。それは、私の人生で一番辛く、悲しい時だった、こう歌われています。その人の一番の苦しみの時、また試練の時に、そこには足跡がたった一つだった、たった一つしか、そこにはありませんでした。

この人は主に訴えます。あなたは私のすべての道において、私と共に歩むと、約束されたしかし、私の人生の一番辛い時、一番必要とする時に、そこには一つのあしあとしかなかった。なぜ、あなたは共にいてくださらなかったのか、私には分からない、あなたは私を見捨てられた。このように、この人は主にありのままを訴えています。

この人の激しい心の叫びに、ここで主は静かに答えられています。あなたは私にとって大切な子、私はあなたを愛している。見捨てることは決してない。まして、苦しみや試練の時はなおさらである。足跡が一つだった時、私はあなたを背負って歩いていた。

足跡が一つだった時、私はあなたを背負って歩いていた。これが、聖書の神である主の答えでした。この人は、自分の人生で一番辛く苦しい時に、主が自分を背負ってくださっていた、そのことを知らされる、ということになりました。

私たちは生きていると、いろいろな苦しみがあります。病気のことや自分の体についての不安、または、愛する家族を失って、耐え難い苦しみに襲われる、そういうこともあります。そのような時、私たちもこの「あしあと」という詩に出てくる人と同じなのだと思います。私たちも叫びます。

なぜ、私にこのような苦しみがあるのか。何のために私は生きているのか。生まれなかった方がまだ良かったのではないか、私は見捨てられた。人生の耐え難い苦しみの中で、私たちはこのような思いにさえなるのだと思います。それは、この詩に出てくる詩人もそうです。なぜ、人生の一番辛い時に、足跡が一つだったのか、この人はこのように主に訴えました。

ただ、この詩が私たちに明らかにしていることは、聖書の神という方は、私たちの人生の一番辛い時、試練の時に、あなたを担われる神である、ということです。

苦しみや耐え難い辛さを覚える時、私たちもこの詩に出てくる人と同じように、主という方に叫ぶことができます。聖書の神は、私たちの人間の味わう苦しみや悲しみ、その全てをご存じで、その叫びを受け止めてくださる方です。主に対して、自分の辛さや苦しみをありのままに訴える、それは決して不信仰なことなのではありません。むしろ、主は、そのように、一人一人が御自分を叫ぶ求めるのを待っておられるのです。そして、あなたの一番の苦しみの時、私はあなたを背負って歩いていた、そのことを私たちに明らかにしてくださる方です。

聖書に出てくる救い主イエス・キリスト御自身が、私たちの苦しみ、痛み、その全てを背負って、十字架にお掛かりになられた方です。聖書の神は、あなたの人生の一番の苦しみと試みの時、あなたと共にいて、あなたを愛し、あなたを背負ってくださいます。

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