罪からの救い

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聖書の言葉

女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

旧約聖書 創世記 3章6節

宮﨑契一によるメッセージ

私は、先日大阪でやっていた、16世紀のドイツの画家クラーナハの展覧会に行きました。「クラーナハ展―500年後の誘惑」こういうタイトルでした。多くの人が見に来ていました。ひょっとしたら、ラジオを聞いておられる方で、行かれたという方もおられるかもしれません。

「クラーナハ展―500年後の誘惑」このタイトルにもありますように、クラーナハの描く絵はとても魅惑的です。特にこの展覧会では、女性を描いた有名なクラーナハの絵が、幾つもありました。それは、500年経っても変わらずに、見る人の目を引き付ける絵です。描かれている女性の視線がこちらに向けられている、そういうものもありました。見ていて、改めて、絵画の力に触れたような気がしました。

その中で、牧師である私が一番印象に残ったのは、聖書をテーマにしたクラーナハの画です。聖書の一番最初には、アダムとイヴが、神から食べてはならないと禁じられた禁断の木の実を食べてしまう、そういう有名な物語があります。やがて、この実を食べた二人は、神によって、エデンの園という楽園を追放されることになります。このテーマについて、クラーナハとその工房は、少なくとも、50点の作品を作った、とされています。

聖書に出てくるアダムとイヴは、神によって生きる命が与えられます。二人はエデンの園で幸せに暮らしていました。二人にとって足りないもの、あれが欲しい、これが欲しい、そういうものは、何一つありませんでした。自分たちが生きるために必要な全てが、そこにありました。聖書によれば、人間は神の愛の対象です。この愛の対象外である人間は、誰一人いません。聖書によれば、人は、神の形に似せて造られました。神と共に生きる存在、神を喜ぶ存在、そういうものとして人は造られた、と聖書は私たちに教えています。

けれども、そのアダムとイヴを、賢い蛇が誘惑します。そして、その誘惑によって、二人は、禁断の木の実を取って食べてしまう、ということになりました。2人は、楽園から追放されてしまう、ということになります。

クラーナハの絵を見ると、アダムとイヴの二人は、仲良さそうに体を寄せ合っています。イヴは、アダムの肩に手を回しています。アダムの方は、何かうつろな表情で、禁断の木の実を手に取っています。イブの方は、その実を既に食べたのでしょう。何かうっとりとしているような顔にも見えます。そして、木の上からは、蛇がじっと二人を見ています。結局、この蛇の誘惑によって二人共、実を食べてしまって、神に背く者、神に対して罪のある者となりました。

聖書は、このように神に背いて生きることは、アダムとイヴだけのこと、と言いません。私たち一人一人にこの罪がある、そのことを聖書は私たちに教えています。このアダムの背きによって、神に背く罪がこの世に入り込んだ。アダムの死はすべての人に及んだ、聖書にはこのように書かれているのです。このアダムとイヴの物語は、どのようにして、今私たちの生きる世界が、神を見失った悲惨な世界になったのか、ということを教えています。

この世の多くの人は、聖書の神を無視しています。この神という方を見たい、この神にすがりたい、そのような信仰は見られません。アダムとイヴのように、神から離れて生きています。そして、神以外のものに、自分が生きる喜びを見つけようとしている。それが、私たちの現実です。神無しで生きる、このことが当たり前になっています。アダムとイヴが神に背き、罪を犯して、楽園を追放された。その出来事は、決して私たちと無関係ではありません。

神を見失ったこの世界は、実に悲惨です。人間同士の欲望や争いは、この世界から無くなりません。今日一日も、世界では、立場の弱い女性や子供たちの命が踏みにじられています。私たちが目を覆うような現実があります。これはひとえに、神を見失った世界の現実と言えるものです。この世界は、誘惑をした蛇の思い通りになっている、そう言っても良いのかもしれません。

しかし、聖書が私たちに教えているのは、そのような罪からの救いです。神は、罪ある人間に救い主イエス・キリストを与えられました。このキリストは、十字架の死から復活された命そのものである方です。そして、この方は、神から離れた私たちを、再び神に引き戻してくださる救い主です。このキリストに、人間が陥った罪の解決があります。

クラーナハ展には、アダムとイヴの絵、これと同時に、馬小屋に生まれたキリストの絵もいくつかありました。クラーナハという人は、人間の罪ということを見ていた人でしたし、また同時に、そこからの救いであるキリスト、この方をも見ていた人であったと思います。

私たちにとって大切なことは、自分たちの本当の姿を知るということです。それは、罪ある自分です。そして、その罪人に神が救いを与えてくださったということ、これを知ることが、私たちの生き方を全く新しくします。

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