父親の眼差し

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聖書の言葉

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。

新約聖書 ヨハネによる福音書 20章19節

山中恵一によるメッセージ

うちには、今1歳4カ月の男の子がいます。ちいちゃい子供と言うのは、本当にメキメキと成長していきますね。そんなうちの子供に、最近になって表れてきた変化があります。それは、怖そうなモノを見て、不安になる、というものです。よく、子供におねだりされて絵本を読みます。いろんな本を読むのですが、中には、「夜更かしすると、おばけにつれていかれちゃうぞ~」といった具体にですね、子供をすこし怖がらせてやろう、という本もあります。これまでは、そういった本を読んでも、ケラケラ、ニヤニヤ笑ってたんですね。それが、最近になって、怖そうなオオカミや鬼が出て来ると、不安そうな顔をするようになりました。時には、泣いてしまうこともあります。何か、人間に危害を加えるモノが醸し出す、雰囲気みたいなものを感じ取っているのかもしれません。あぁ~、と言って、眉毛をハの字にして、不安な表情をするんですね。不安、というのは子供だけが抱くモノではありません。子供はオオカミや鬼やお化けで不安になりますが、大人には、もっと現実的な恐ろしい相手というものがあります。自分に危害を加えて来るモノ。人間関係のなかで、そういう相手がいますよね。職場だったり、地域近所だったり、家族だったり、子供にとってのオオカミや鬼のように、大人も、自分を不安にさせる相手というのがあります。

先ほど、読んだ聖書の箇所にも、恐れの中で不安を抱く人たちが登場しました。それは、イエス様の弟子たちです。この個所は、イエス様が十字架で死なれた後のお話です。イエス様は、ユダヤ人によって逮捕されて、十字架で処刑されて、その3日後に、甦られました。けれども今日、登場する弟子達は、まだ、そのイエス様とは、会っていませんでした。イエス様を逮捕して、処刑した連中が、自分達のことも捕えにくるんじゃないか?自分達を酷い目にあわす相手を心に思い描いて、おっかなくなって、家に閉じこもってカギを締めて、ガクガク、ブルブルと不安に押しつぶされそうになっていました。深刻な顔で、重たい空気が張り詰めていたんだと思うんですね。

子供が恐怖に駆られて、泣きそうな顔をしている。これは、親としては、一大事です。イエス様は、弟子たちのところにきて、「平和があるように」と言われました。父なる神様は、イエス様を弟子たちのところに遣わして、「平和があるように」「安心するように」、と語りかけてくださる御方なんですね。愛する子に、安らぎを与えたい。それは、子供を愛する父の親心です。イエス様は、弟子たちに、手とわき腹を見せました。そこには、十字架に打ちつけられた痛々しい釘の跡と、最後に槍で突かれた時に負った傷痕があったはずです。しかし、その痛々しい傷跡は、弟子たちに喜びを与えました。「これは偽物じゃない。本当に、十字架で死んだあのイエス様が、甦られたのだ!」この喜びは、弟子たちが抱えていた、自分たちに危害を加える者達への不安を、スカッと晴らしました。どれだけ強い相手であっても死に打ち勝つことができるような人はいません。この世界の誰よりも強い御方が、自分達のところにいる。「平和があるように」この言葉は、弟子達に、本当に安らかな思いを与えられたことと思います。

そして、「平和があるように」という、この言葉は、危険に対する不安だけを晴らす言葉ではありませんでした。この言葉には、弟子たちが抱えていたもうひとつの大きな不安を晴らす力がありました。その不安とは、自分たちは、神様に従うことができなかった、という後ろめたさからくる不安です。

悪いことをした後ろめたさ。イイことができなかった後ろめたさ。そこから安らかさが失われることがあります。これも、ウチの子供に最近になって芽生えた変化のひとつです。なんでしょうね。子供と言うのは、親がやって欲しくないことを教えてもいないのに実に見事に、やるんですね。ご飯を食べない。それは、まだ、イイとしても、食べたくないご飯を床に放るんですね。そんな風に、親の嫌がることをした後、今までは楽しそうにはしゃいでいましたが、最近、自分の様子を見ている親のムッとした表情が分かるようになって来てですね、バツが悪そうな顔をした後に、泣きそうな表情をするようになりました。よくないことをした、という感覚がきっとあるんですね。そして、後ろめたい気持ちにギュッとなって、きっと苦しくなって、不安になるんだと思います。この不安もまた、子供だけでなく、私たちが大人になっても味わう不安だと思います。神様を信じていようがいまいが、ものごとにイイ悪いという心を持っています。そして、人間というのは、イイことだけをする、なんてことはできません。そういう自分の積み重ねてきた悪い部分と向きあわされるとき、心がギュッとなって、苦しい、不安な思いに駆られるということが、多くの人にあるんじゃないか、と思うんですね。

今日の箇所に登場した弟子達。彼らが抱える不安にも、イエス様に従うことができなかった、という後ろめたさからくる不安があったのだと思います。イエス様は、弟子たちの抱えていたこの、不安。自分の罪深さに対する不安も晴らしてくださったんですね。イエス様が弟子たちに見せた傷。それは、弟子たちの罪の身代わりとなって、十字架で死なれた贖罪の傷でした。「私に従いきることのできなかったあなたたち。そのあなたの罪のために、わたしは十字架で傷を負ってきた。あなたの代わりに、死んできてあげた。だから、弱い自分を責めなさんな。大丈夫。イイことができなくとも、悪いことをしてしまったとしても、神様はあなたを見捨てたりはしない。安心しなさい。平和があるように。」

皆さんには不安はありませんか?外の危険に対する不安、そして、自分自身に対する不安。神様は、不安の中で、強張っているあなたの顔に笑顔を取り戻したい、と願っておられます。

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