太陽の下、人は労苦するが

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聖書の言葉

太陽の下、人は労苦するが すべての労苦も何になろう

一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地

旧約聖書 コヘレトの言葉 1章3,4節

宮武輝彦によるメッセージ

先週学びましたように、コへレトは、はじめに、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」と叫びつつ、人生のはかなさの意味を、神に向かって問いかけました。それは、神の意志による人生を真剣に問うものであり、同時に、今、ここで、労苦する意味を問うことへとつながっていきます。

エルサレム神殿に住む王、ソロモンにとって、「労苦」とは、イスラエルの人々の労苦を指しています。ソロモンが、神様に集められた人々を前に告げたこの「コへレトの言葉」は、仮庵(かりいお)の祭りと呼ばれる、出エジプトの出来事と、四十年にわたって、荒れ野で、天幕というテント暮らしをした日々を思い起こす、七日間にわたる祭りの時に、読まれたと言われます。

それでは、コへレトの言葉が、荒野でのテント暮らしを思い起こす仮庵の祭りで読まれたとき、イスラエルの人々はどのようなことを思い起こしたことでしょうか。

「太陽の下、人は労苦するがすべての労苦も何になろう」との、問いかけは、エジプトで、ファラオ王もとで奴隷として、休みなく働き続けた労苦を思い起こしたかもしれません。あるいは、また、四十年にわたって、神様が食べ物として与えてくださった、マナを集め続けた、日々を思い起こしたかもしれません。あるいは、また、今、自分たちに与えられている労苦、それは、必ずしも、作物を得るための働きだけではなく、人々の暮らしの中での、悩みや苦しみを思い出させた言葉であったかもしれません。

いずれにしても、神様が造られた「太陽の下」で、人間が労苦しなければならないのはなぜか、と真剣に問いかけているのです。

じつは、イスラエルの人々は、何度となく、四十年にわたった荒れ野での生活の中でも、神のご意志を忘れ、かつて奴隷として働いたエジプトの方が良かったと不平を言いました。

それは、シナイ山をとおる迂回ルートを通りながらも、2年ほどでエジプトから約束の地カナンに入る手前までたどりついたときに、カナンの地を偵察したときに、その心が試されることとなりました。

このとき、四十日間にわたって、カレブたちが、カナンの地を偵察したときに、カレブは、その土地に進んでいくことを、神のご意志を受けとめました。しかし、他の者たちは、そこに住む人を見て、「我々が偵察してきた土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。・・」(民数記13章32節)といい、自分たちの目に映るままに悪い情報を流して、人々に不安をあおることになります。

「共同体全体は声をあげて叫び、民は夜通し泣き言を言った。イスラエルの人々は一声にモーセとアロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。『エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子を奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ』」(民数記14章1~3節)との人々の声は、神のご意志も、荒れ野での、絶えざる食物の養いも、すべて忘れてしまったような不平でした。

主なる神はこう言われました。「お前たちの子供は、荒れ野を四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わなければならない。お前たちは、わたしに抵抗するとどうなるか知るであろう。」(民数14章33~34節)

このように、四十年にわたった荒れ野での暮らしそのものが、神の裁きであり、イスラエルの人々は自ら引き起こした背信のために、カレブと、後のモーセの後継者となるヨシュアの他は、一つの世代を荒れ野で終えることを招来したのでした。

ですから、コへレトの言う、「一代過ぎればまた一代が起こり永遠に耐えるのは大地」という言葉には、イスラエルの人々からすれば、四十年にわった荒れ野で、多くの人々が、一世代を終えねばならなかったにもかかわらず、神様が次の世代を起こしてくださったこと、そして、ダビデ、ソロモンと王を立ててくださった、感謝の思いを呼び起こす言葉でもあり得たことでしょう。

新約聖書のマタイによる福音書の冒頭には、イエス・キリストの系図が書かれています。それは、このコへレトの言葉に照らして見るならば、太陽の下で労苦した人々の世代の継承です。しかしながら、その労苦は、神の救いの約束である、契約の下で引き継がれた世代の継承でもあります。ですから、イエス・キリストの系図は、永遠の神でありながら、私たちと同じように、労苦を負ってくださった御方を指し示す、恵みの系図です。

イエス・キリストは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6章33,34節)と言われました。今日の労苦を、神様が知ってくださっていることを、よく心に留めたいと思います。

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