マリアへの告知

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聖書の言葉

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

新約聖書 ルカによる福音書 1章28節

吉田謙によるメッセージ

今日は、主の天使がマリアに告げた「受胎告知」の物語を学びます。主の天使はマリアにこう告げました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる!」天使から、突然「おめでとう!」と言われて、マリアはただただ戸惑うばかりでした。なぜ「おめでとう!」なのでしょうか。それは「主が共におられる」からです。では、「主が共におられる」とはどういうことでしょう。「主が共におられる」「神様が共におられる」私たちもしばしば口にしますし、耳にします。悲しんでいる時に、主が共にいて慰めて下さる。勿論、そうでしょう。危機に瀕する時に、主が共にいて守って下さる。勿論、そうなのです。けれども、ここで語られているのは、そういうことではありません。ここでの「主が共におられる」というのは、「マリアを用いようとしておられる主が共におられる」ということです。

「神様があなたと一緒にいて下さいますよ」という言葉を聞いた時に、皆さんなら、どう受け止められるでしょうか。「神様が一緒にいるよ」と言われて喜ぶ人の多くは、「自分の望みをかなえてくれる神様が共におられる」「苦しみや困難を遠ざけてくれる神様が共におられる」と思っています。しかし、そのように受け止めている人は、自分の願っていないような苦難を受ける時に、あるいは自分が願っていないような人生を歩まなければならなくなった時に、「神様は共におられない」ということになってしまいます。

しかし、主の天使は、マリアが自分の願っていないような人生を歩まなければならなくなった時に、こう告げたのです。「主があなたと共におられる」と。これは明らかに「あなたの願望を実現してくれる神様が一緒にいますよ」という意味ではありません。そうではなくて、「あなたの人生を用いて下さる神様が共におられる」ということです。あなたの一生があなたの思い通りにならなくても、たとえ苦難に満ちていたとしても、あなたの人生には意味がある。神様があなたの人生に伴い、あなたの一生を用いて下さる。そうやって、マリアの一生は、キリストの母親としての一生として用いられたのです。

マリアは、イエス様をその身に宿すという、誰一人真似のできない神様の奇跡に用いられました。そういう意味では、誰もマリアに変わることはできません。マリアの立場は、人類史上、唯一無比の位置を占めていると言えるでしょう。けれども、マリアが特別に立派な信仰の持ち主であった、というわけではありません。マリアは、神様の奇跡を最初から自ら進んでその身に引き受けたわけではなかったのです。良く判らないままに、天使に説得され、最初は渋々引き受けたのでした。もし神様が支えて下さらなければ、彼女は救い主を産むことすら諦めてしまっていたかもしれません。彼女はそんな極々普通の弱い人間だったのです。そんなマリアを神様は一方的な恵みによって選び取り、救い主の母として下さいました。そして、後から少しずつ少しずつ整えて下さったのです。そういう意味では、私たちも同じだと思います。

様々な困難にぶち当たる時に、実際に私たちに出来ることは本当に限られています。私たちはスーパーマンではありませんから、それは仕方がないことだと思います。けれども、何も諦める必要はありません。マリアと同じように、「あなたを用いて下さる神様がいつも共にいて下さるではないか!」と、御言葉が時には厳しく、また時には優しく、その時々に必要な励ましを与えてくれるはずです。たとえ私たちには、到底不可能と思えるようなことであっても、神様が一端約束されたことは必ず実現します。マリアがそうであったように、私たちには不可能に思えるようなことであっても、神様は小さな私たちを大きく大きく用いて下さいます。神様はご計画に従って、必ず万事を益として下さるのです。

「変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる冷静さと、それら2つのものを見分ける知恵をお与え下さい。」これはニーパーという神学者が残した祈りの言葉です。ニーバーという人は、「この世の中には変えることの出来るものと、どうしても変えることの出来ないものがあるのだ」と言うのです。その上で「変えることが出来るものに関しては、勇気をもって懸命に戦い、働けばいいし、変えることの出来ないものに関しては、自分の力で藻掻くのはやめて、それを受け入れ、神様にお任せすればいい。そしてその二つのことを正しく見分けることが出来るように、私にその知恵を与えて下さい」と彼は祈り求めているのです。

私たちも、マリアのように、しばしば困難な道へと神様から押し出されることがあります。そして、八方ふさがりの中で、自分には何も出来ないと諦めてしまうことがあるのです。けれども、そんな中にあっても、決して諦めることなく自分に出来ることは精一杯するのです。そして自分に出来ないことについては、決して無理はせず、神様にお任せをする。そして、「その自分に出来ることと出来ないことを正しく見きわめることが出来るように知恵を与えてください」とただひたすらに祈るのであります。そうする時に、きっと神様は、私たちの小さな業を用いて、その困難な道を切り開いて下さるでしょう。

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