この船に乗ろう

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聖書の言葉

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

旧約聖書 創世記 6章22節

吉田実によるメッセージ

今回は、私が大変尊敬しています水彩画家「堀江優先生」とその作品について、2回続けてお話しをさせていただきます。神戸の北野にあります異人館の一つ「うろこの家」には美術館が併設されていまして、その3階に堀江先生の作品が沢山常設されています。神戸にお越しの際はぜひ訪れていただきたい素敵な美術館なのですけれども、その「うろこ美術館」に納められています作品の一つ「ノアの叫び」について、本日はお話しさせていただきます。

堀江優先生は1933年、牧師の長男として神戸にお生まれになりました。お父様の聖書のお話と、お母親の祈りに育まれて優少年は成長しましたが、元々体が弱かった彼は外で遊ぶよりも室内で過ごすことが多かったようです。その上、お父様は質素倹約を旨とする方でありまして、息子におもちゃなどは一切与えませんでしたので、彼は自然に紙と鉛筆で絵を描くことを覚えました。やがて旧制中学の神戸二中に合格した優少年は、大先輩に画家の田中忠雄や小磯良平がいたことを知り、これらの大先輩にあこがれ、自らも絵画の道を志します。しかし家庭の経済状況から美大に進学することは難しいと悟った彼は、小学校の教師を目指します。そして神戸大学教育学部で小学校教育と美術実技を学んだ彼は、1956年に神戸市立の小学校の教員となります。子どもたちを愛して熱心に教育に取り組んだ堀江先生は、一時は絵筆を折り、教育に専念しようといたします。けれども、逆に子どもたちが熱心に作品を作る姿に刺激を受け、再び制作意欲を燃やすようになるのです。「教師である自分自身が何かを求めることなしに、真の教育は出来ない」と堀江先生は気付き、日中は教師として子どもたちに真剣に向かい合い、夜は画家として絵画制作の画面に真剣に向かうという日々が始まりました。普通はこれらを両立させることはとっても難しいことなのですが、堀江先生は学級担任として子どもたち一人一人を見つめて熱心に指導しながら、昼間のエネルギーをそのまま夜間の絵画制作にもつなげて行ったのです。自分自身が学ぶということと、生徒を教えるということは、堀江先生にとっては表裏一体のことだったのでしょう。やがて、「子どもの頃から教会学校で学び親しんできた聖書の世界を自分なりの感性で描くことが、自分に与えられた使命ではないか」と考えるようになった堀江先生は、聖書をモチーフとした作品を描き始め、次第にその作品のユニークさが認められ、1980年には美術界の芥川賞と呼ばれる安井賞を受賞するのです。そんな堀江優先生が2001年に創世記のノアの箱舟の物語をモチーフに描いた作品がこの「ノアの叫び」なのです。

杯を片手にあざけり笑う人々に対して、一人の老人が一生懸命何かを訴えて叫んでいる。そんな作品です。この一生懸命叫んでいる老人が「ノア」なのです。ノアは神に従う無垢な人でした。そして、不法に満ちたこの地に神様が裁きをなさるという決意の言葉と、箱舟を造るようにという命令の言葉を聞いたときに、ノアは忠実に従いました。聖書はそのことだけを伝えています。しかし堀江先生は想像したのです。一生懸命箱舟を造りながら、周りの人びとに馬鹿にされ笑われながらも、ノアはきっと叫んだに違いない。「一緒にこの舟に乗ろう。この舟に乗れば救われる!」と。

私はある教会で堀江先生の講演を聞いたことがあります。そのお話しの中で最も印象に残った言葉は「信仰家族」という言葉です。堀江先生はこの言葉を繰り返されました。主イエスを信じることによって私たちは「神の家族」となることが出来る。この全世界とつながる「信仰家族」としての「教会の交わり」の豊かさについて、一生懸命語ってくださったことを覚えています。学校の生徒たちの成長を覚えて祈り続け、日曜学校の教師として子どもたちに聖書の物語を教え続けながら制作を続けた堀江先生は、犯罪の低年齢化に心を痛め、教師を退職された後も「子どもの心の教育を第一にせよ」と叫び続けておられました。そしてこういう文章も書いておられます。「子どもは小さければ小さい程、神様の中に生き、神様を知る存在なのに、物質世界に子どもを閉じ込めてしまい、心を育む一切の責任を放棄してしまっている大人の現実を恐ろしく思うのである」。そんな堀江先生は、きっと一人でも多くの人が共に「信仰家族」となることを願っておられたことでしょう。「一緒にこの舟に乗ろう!」と叫ぶ絵の中のノアの姿は、そんな堀江先生ご自身の姿だったのかもしれません。ラジオをお聞きの皆様もぜひ、「うろこ美術館」でこの作品をご覧ください。そして日曜日には「信仰家族」が共に集う、お近くのキリスト教会にお越しください。

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