生きる希望

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聖書の言葉

二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

新約聖書 ルカによる福音書 24章32節

大場康司によるメッセージ

イースターおめでとうございます。主イエス・キリストは、この朝、確かに命へと復活されました。私たちも、主にあって、主と共に、生きることができる。この大きな喜びを、感謝するとき。これがイースターです。

ただいまお読みした聖書の個所は、エマオという場所に向かう二人の弟子に、復活されたイエスさまが、親しく現われてくださった、ということを語っている個所の一節です。私の非常に好きな個所で、これ以上、何も言うことなど無いほどです。

二人は、道々、イエスさまのことを語り合っていました。話は、イエスさまが逮捕されたことから始まって、十字架上の死、そして葬りへと及んでいます。そして二人は、暗い顔をしていました。彼らには悲しみ、失望、戸惑い、そして混乱があります。彼らの愛していたイエスさまが、十字架の上で確かに死なれ、そして葬られてしまった、という悲しみです。また、あの御方こそ、まことの救い主であると信じ、あの御方に希望を置いていたのに、死んでしまった、という失望があります。さらに、なぜ、あのイエスさまが殺されなければならなかったのか、という戸惑いがあったことでしょう。全く、正しい御方です。イエスさまが行われたことといえば、それは、病に苦しむ人々を癒されたり、人々の思いと心をまことの神さまへと向けられた、といったようなことです。

そのような御方が、なぜ、極悪人であるかのように、十字架の上で殺されなければならなかったのか。このことはいくら考えても、その答えを見つけることはできなかったに違いない。

そして、彼らの心のうちには混乱があります。今朝方、イエスさまの墓を訪れた女性たちは、墓が空であった、と告げました。ペトロたちも行って、確かめてみたが、確かに彼女たちの言うとおりであった、というのです。これはどういうことなのだろうか。このような釈然としない思い、蟠(わだかま)る心を抱えて、彼らは、何をどのように考えたらよいのか、すっかりわからなくなっていました。

そのような彼らと、途中から一緒に、復活されたイエスさまは歩き始めておられます。しかし、彼ら二人の目は遮られていて、それがイエスさまだとは判りませんでした。やがて、この二人に、イエスさまは語りかけてくださっています。それは、「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」という言葉でした。メシア・救い主が苦難を受けるということ、それは既に決まっていたことである、と言われています。

あなたがたはイエス・キリストが十字架に架かって死んでしまい、もはや、全ての望みが断たれてしまったかのように嘆き悲しんでいる。しかし、それは全くの思い違いである、ということです。十字架に架かられた苦難のキリストこそ、復活の栄光へと至るキリストに他ならない。ここに希望がある。このことを、イエスさまは懇々と語ってくださったのです。そのうちに夕方となり、二人は、どうか一緒にお泊りください、と言ってイエスさまを引き止めました。共に食事の席に着いた時、イエスさまはパンを取り、讃美の祈りを唱えて、パンを裂かれました。このとき、二人はその御方が、イエスさまである、と判ったのです。

神さまが、そのように二人の目を開いてくださいました。それで、イエスさまである、と知ることができました。二人は互いに語り合います。「道で話しておられる時、また聖書を説明してくださった時、私たちの心は燃えていたではないか。」二人の悲しみは喜びに、失望は希望に、戸惑いと混乱は確信に、変わりました。蟠(わだかま)る思いは、すっきりとしました。主イエス・キリストは、確かに復活された。このことを確信し、喜んでいます。

主イエス・キリストの復活の出来事、これは私たちの心を熱く燃え立たせてくださる出来事です。主が私たちといつまでも共にいてくださる。私たちには揺るぎない希望がある。このことが私たちの心を熱く燃えさせてくださいます。二人は、初め、イエスさまのことが判りませんでした。しかし、やがてその目が開かれました。それは、信仰をもって目を凝らす時、私たちの目は開かれる、ということです。それは、御言葉に聴き続けて、御言葉に聴き従うということです。そして、御言葉において約束されている、主イエス・キリストにある確かな命に生きる者とされたい、と切に祈り求めることです。その時、私たちは見ることができるようになる。

私たちの傍らを、今も、主イエス・キリストは歩いてくださっています。信仰に生きるとき、私たちは、主イエス・キリストを見ることができる。信仰に生きるとは、確かな希望に生きることです。主と共にあって、心を熱く燃え立たせて頂いて、この世の旅路を歩み行くことです。

十字架において私たちのために死んでくださり、そして、栄光と勝利の内に命へと復活された主イエス・キリストは、今、私たちと共に歩んでくださっています。信仰をもって、主と共に、歩んでいきましょう。私たちの希望はいつまでも、続きます。主にあって、私たちの心は、熱く燃え続けるのです。

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