見えないものを待ち望む

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章24~25節

宮﨑契一によるメッセージ

今年の4月に熊本で地震がありました。今もまだ揺れが続いています。私は元々熊本で生まれ育ちました。4月に繰り返し大きな地震が熊本であった、そのことを知った時に、心が本当に揺れました。信じられないという思いがしましたし、落ち着かないような思い、不安な思い、先の見えないような思いになりました。自分の故郷はこれからどうなるのだろう、熊本の同級生や熊本の教会の人たちのこと、とても気になりました。

また、この地震で、自分にとっての思い出の場所が、本当にあっけなく崩れ去っていく様子もテレビで見ました。もちろん、私自身が今回被災をしたのではないのですけれども、今回の地震は私にとって本当に心の揺れ動きを覚えるような出来事でした。

今回のことを通して、私が聖書から一つ教えられたことがあります。それは、見えないものに目を向けて生きる、ということです。私たちの目に見えるものは、いつかは必ず崩れていくものです。私たちの目に見えるものには、必ず終わりがあります。たとえば、私たちがこの人生の中で築き上げてきた名誉や財産、いつまでも残り続けるものではありません。いつかは無くなるものですし、永遠に私たちを支えるものでもありません。

私たちが今生きているということは、必ず一人一人が何かの希望を持って生きているということです。もし、希望が無くなってしまったら、それが絶たれてしまったら、私たちは生きることはできません。その中で聖書は、では私たちにとっての本当の希望は一体なのか、そのことを私たちに問いかけています。

最初にお読みした聖書の個所に、こういう言葉があります。「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか」。ここでは、私たちが驚くようなことが言われていると思います。見えるものに対する希望は、もはや希望ではない、こう言われるのです。では一体何が希望なのか。聖書は、私たちは目に見えないものを待ち望む、と語っています。

目に見えないものを待ち望む。こう言われていますけれども、ここで聖書が教えていることは、私たちにとっての全く新しい希望です。すべての人に共通している希望、そのことがここで言われています。そういう全く新しい希望を神は一人一人に与えられたと聖書は教えているのです。

私たちは、毎日見えるものに囲まれて生活をしています。目に見えるものを求めて生きていますし、見えるものこそ自分にとって確かなものだ、こう思って毎日生きているのだと思います。見えないものなんか、何の現実味もない。確かなものでも何でもない。ただ、自分の目で見ることのできるものが確かなものだと、こう考えて私たちは生きていると思うのです。私たちはあまりにも、周りにある見えるものに囚われて生きていますし、いつの間にかそれが全てだと思っています。けれども、そこに見えないものがあるということ、あなたにとっての新しい希望があるということを聖書は私たちに語り掛けているのです。

この、見えない希望、とは一体何でしょうか。それは、一言で言えば神の救い、ということになります。それこそ希望だと、聖書は私たちに教えています。私たち人間はみんな、神を知らずに生きています。神を信じることなく、神に背き、神から離れ、ただ自分が思うように生きようとしている、それが幸せだと思っている。それが私たち一人一人です。けれども、神は、そのように御自分から離れて生きている私たち罪人を愛されています。神は救い主イエス・キリストを与えてくださいました。そしてキリストは、私たち罪人の身代わりとなって十字架に付けられました。つまり、私たちは、神に愛され、イエス・キリストに愛されて生きる一人一人なのです。

この神の救い、希望は、やがて完成します。やがて完全になる時があります。今はまだ目には見えません。でも、今与えられていて、やがて完成をする神の素晴らしい救いを、私は待ち望んでいる、見えないものを待っていると、この聖書の箇所では言われているのです。この見えない希望、救いが、苦しみの中でも私にはあると聖書は語っています。これはキリストに心を向け、キリストを信じている人に約束をされているものです。

聖書の語る見えないものは、見えるもの以上に確かです。私たちは毎日見えるものに囲まれて、一生懸命に生きていますけれども、聖書はそれ以上のもののこと、私たちがいつでもそれを待ち望むことのできるものを教えています。

それは、イエス・キリストによって実現をした神の救いです。これは、どんな悲惨な現実、どんな悲しみの現実が私たちに起こっても、そのことによって崩れるものではありません。どんな現実の中でも、そこにあり続けているもの、私たちに希望を持たせるもの、それが救いです。

どうか、あなたにもこの救いを受け取っていただきたいと思います。

関連する番組