交通ルールと神様の戒め

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聖書の言葉

あなたがたはこの世にならってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章2節

吉田隆によるメッセージ

今朝の聖書の言葉をお読みします。ローマの信徒への手紙12章2節です。「あなたがたはこの世にならってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」。

私が住んでおります西宮の甲子園あたりは、気のせいでしょうか、実に自転車に乗っている方が多いのです。また、子どもたちがたくさん住んでいる地域ですので、お母さんが前や後ろに小さな子どもたちを乗せて走る風景も実に多く見かけます。で、こちらに来て、おもしろいなあと思ったのは、あれは「さすべえ」と言うんだそうですけれども、自転車のハンドル部分に傘を固定させる部品がついていて、御婦人たちやお母さんたちが、日傘や雨傘を手では持たないで、ハンドル部分に固定して運転している風景も、この辺りではよく見かけます。まあ、スマホをしながら運転している人よりは安全だとは思いますが、風や雨の強い日などはやはりちょっと心配ですね。けれども、もっと危ないのは、特に信号のない住宅地の交差点などで、一時停止のはずなのに、止まらないで勢いよく突っ込んでくる自転車が、これがまた結構多いのです。しかも、車が来ているのに全然見ていない。これで、何度か肝を冷やした経験をいたしました。これも一つの地域性というか文化なのかなあとも思いました。

と申しますのも、ずいぶん前の話ですが、中国に参りました時に、今でもそういう所が結構あるでしょうけれど、とにかく町の道という道は自転車だらけ。車は、自転車に囲まれながらノロノロ走っている。あちらでは自転車が中心なのですね。そうかと思えば、これもまた15年ほど前ですが、フィリッピンのマニラに行きました時に、こちらは自転車ではない、町中、車の大渋滞。とにかく交差点では、信号があろうがなかろうが四方から車が突っ込んでくる。もっと驚いたのは、高速道路の両脇の路肩部分を車が逆走しているのを見た時です。それも1台や2台ではない。みんなそうしているのです。つまり、高速道路が片側二車線になっている。というか、そのように勝手にしているのですね。そんなフィリッピンで、教会の礼拝に出ました時に、礼拝の説教の中で牧師さんが「クリスチャンは信号を守りましょう。赤信号では止まりましょう」と話しているのを聞いて、思わず笑ってしまいました。けれども、こうして、丁寧に日常のことから教育して行くことが大切なんだろうなあと感心しました。何しろ、自分や人の命がかかっていますからね。

ことほどさように、規則や決まりというのは、その時代その時代、あるいはその地域によっても変わるものなんだなあと改めて考えさせられた次第です。もちろん、世の中には変な規則や決まりもたくさんありますが、けれども、本来は、そこで暮らしている人たちみんなが気持ちよく、安全に暮らすためのものであるはず、ですよね。

聖書を読みますと、特に旧約聖書ですが、そこにはたくさんの規則や決まりが書かれています。日本語では「律法」というふうに言われています。あまり聞いたことが無い言葉かもしれません。法律という言葉をひっくり返した言葉です。けれども、聖書の元々の言葉、ヘブライ語という言葉ですが、その元の言葉では、規則や決まりというよりは、「教え」とか「指示」。こうしなさい、ああしなさいと、ちょうど親が子どもを躾けるために教える、そのような意味の言葉なのです。

つまり、聖書に書かれているたくさんの戒めというのは、ちょうど親が子どもを躾けるように、神様が私たち人間のことを思って与えてくださったものだということなのです。親が子どもにあれこれ注意するのは、まだ何もわからない子どもたちが危険な目に合わないように、子どもたちが安心して幸せに暮らして行けるようにと願ってのことですよね。神様の戒めもそれと同じだということです。ですから、大切なのは、そのような戒めを全部覚えることでも、それを全部守るように努力することでも必ずしもありません。一番大切なことは、それらの戒めが何のためにあるのかを知ることです。そこまで、私たちの事を思ってくださる親の心、神様の愛を知ることなのです。

新約聖書には、神様の愛が、イエス・キリストを通して現された神の愛がハッキリと、これ以上無いくらいハッキリと書かれています。ですから、新約聖書にはあまり規則や戒めが出てこないのです。最初にお読みした聖書の言葉のように「あなたがたは…、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれることかを、自分でわきまえなさい」と。神様の愛を知った、本当のお心を知ったあなたたちは、どうすることが神に喜ばれる善いことなのかを、自分で考えられるはずだと、こう言われているのですね。

規則や決まりは、私たちの生活が守られ、皆が幸せに暮らすためのものです。そうであれば、私たち人間を愛してやまない神様の御教えは、どれほど大切なものでしょうか。今日の日曜日、私たちは礼拝に行って、まず神様のみ言葉を聞きましょう。人としてどのように生きて行けばよいのか、神様の愛に満ちたお言葉に耳を傾けましょう。そして、皆さん、今週も交通ルールを守って、御無事で過ごされますように。

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