聖恵授産所物語

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聖書の言葉

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章28節

吉田実によるメッセージ

今回は、私たちの日本キリスト改革派教会の中から始まりました、大切な「愛の業」の働きについて、ご紹介しています。今朝は広島県忠海にあります社会福祉法人「聖恵会」、その前身であります「聖恵授産所」のお話をさせていただきます。

「聖恵授産所」は筋ジストロフィーという重い病による障がいのあった井原牧生牧師から始まりました。井原先生は1926年に牧師の息子として広島県忠海にお生まれになりました。そして旧制中学の4年生、15、6歳の時に、筋ジストロフィーを発症されました。2週間高熱が続き、熱が下がった後も腕が思うように上がらないということが起こったのです。そのとき、牧師であるお父様が筋ジストロフィーという病について説明をし、自身も同じ障がいを持っていることを初めて告げ、最初にお読みいたしましたローマの信徒への手紙8章28節から、神様の摂理には偶然は一つもないこと、神様がそのご計画の中ですべてのことを益としてくださることなどを、涙を流しながらじゅんじゅんと説き明かしてくださったそうです。

でも、まだ十代半ばの牧夫少年はどうしても納得できなかったそうです。そんな彼に、お父様はこうおっしゃったそうです。「お前のお母さんにしろ、私にしろ、このことを知りながら、お前を祈りをもって育ててきた。この思いを忘れないでくれ」。そして苦悩の末に、「僕が障がい者として生まれたことにも、神様の聖い御心があるに違いない」と御自身の障がいを信仰によって受け入れました牧夫少年は、やがて献身の志を与えられ、昭和神学研究所に学び、やがて神戸改革派神学校の1期生として入学するのです。そこで、先週お話しいたしました静岡キリスト教盲人伝道センターをお始めになった青山輝徳先生との出会いがありました。神戸改革派神学校の歩みが、この二人の重い障がいを持った神学生たちとの学びと交わりの中で始まったということの影響は、決して小さくなかったのではないかと想像いたします。

やがて1949年に神学校を卒業された井原先生は、日本キリスト改革派忠海教会に遣わされ、1957年にご結婚なさいます。そして1960年1月20日、3名の障がい者と井原先生ご夫妻の5名で、聖恵授産所ははじまりました。自ら重度の身体障がい者でありました井原先生は、「障がい者も働いて社会に参加しなければならない」という強い信仰的信念のもとに、障がいのある人たちに和文タイプを教え始めたのです。これが聖恵授産所の始まりでした。

初めは仕事になりませんでしたけれども、やがて町内の学校や会社から少しずつ注文が来るようになります。井原牧師はお金を頂いて行う仕事なので、「障がいがあるから十分な仕事ができない」という言い訳を許しませんでした。そして機能訓練と聖書の指導に加えて、国語や印刷学、デザインなどの学科指導による職業訓練を行い、必要な知識を身に着けさせたのです。

このようにして未認可施設として聖恵授産所ははじまりましたが、5年ほどたった時に市の福祉担当者が訪問し「もぐりの医者のようなことはやめてほしい」と言われたそうです。また県からも呼び出されて「中途半端なことはやめてほしい。正式にやるなら資金計画を見せてほしい」と言われ、調査のための役人が来所した時には、井原牧師は正直「もうここまでか」と思ったそうです。ところが、来所した担当者は聖恵授産所のカリキュラムを持った職業指導や能力開発、質の高い技術指導に驚いて、「これならつぶすよりも、制度に基づいた施設にする方が良い」と評価してくださり、このことをきっかけに聖恵授産所は「社会福祉法人聖恵会」となるのです。

このようにして、身体障がい者の職業訓練を行う施設として聖恵授産所は始まりましたけれども、やがて地域の高齢化に伴い、高齢者へのデイサービス事業、ヘルパー派遣事業も始めるように導かれて行きまして、現在は9つの事業所にまで拡大しています。聖恵会は大きくしようとして大きくなったのではなくて、地域の必要に一生懸命応えようとする中で自然に働きが拡大して大きくなって行ったのです。毎年秋に行われます聖恵文化祭には地域の学校や諸団体の協力を得て約1000名者方々が集ってくださっています。忠海の町の人口が5000名弱であることを考えますと、これは驚異的なことだと思います。忠海の町の子供たちは、幼い時から聖恵会と関わることで、自然に「障がい者と共に生きる」という感覚を身に着けているそうです。

現在では「福祉のまち忠海」と呼ばれるようになりましたけれども、それは重い障がいを背負うことになった一人の少年の深い嘆きから始まったのです。そしてそれは「神様は万事を益としてくださる」という聖書の御言葉が、苦悩の中で一つ一つ実現して行った歩みであったと思います。この御言葉を信じるなら、「どうしてこんなことになるのだ」というあなたの嘆きや叫びをも、神様はきっと益としてくださる。そしてきっとそこから、あなたにしかできない良いことを始めてくださるに違いありません。

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