永遠の命への門、イエス・キリスト

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聖書の言葉

「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。(中略)わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 10章9~10節

袴田清子によるメッセージ

羊飼いの仕事は羊の世話をすることです。昼間は放牧に連れて行き、夜になると、村にある共同の囲いの中に羊を寝かせました。その羊の囲いには門番がいて、門番は羊飼いが来ると門を開き、羊飼いはそこから入って、羊を導き入れました。他の人の羊と混じっても、朝になって、羊飼いが声を掛けると、羊は羊飼いの声を聞き分けて付いて行き、羊はちゃんと区別できたそうです。

暖かい時期になると、丘の中腹にある羊舎に集めて夜を過ごしました。羊舎と言っても、壁に囲まれた空間があるだけで、入口には門がなく、羊飼い自らが入口に寝そべって門の役割を果たしたのです。そのような習慣から、イエス・キリストは御自分が羊飼いであり、また門であると語っておられるのです。

聖書では、神様の事を羊飼いとして記している箇所がたくさんあります。詩編23編には「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と記されています。また「わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ」と言うフレーズもあります。イザヤ書40章には「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」という一節があります。新約聖書においては、神様の事を、100匹羊を持っていても、その中の一匹の羊が迷い出たら、残りの99匹を置いてでも、探しに出、その一匹を見出し喜ぶ羊飼いとして、描いています。

また、他の人が見るなら、見分けのつかない、羊を、羊飼いは、一匹一匹見分けることができました。毎日、囲いの中に入れる時に、一匹一匹の羊の状態がどうであるか、羊飼いは、ちゃんと見て知っています。羊飼いは一匹一匹の羊の事をちゃんと把握していたのです。

今ラジオをお聞きの皆さん、お一人お一人の事も、真の羊飼いである神様は、ちゃんと把握しておられます。神様は全て御存知で、貴方(あなた)の名前も悩みもご存じです。自分は、神様にとって、どうでも良い存在に違いないと思っていても、神様は、お一人お一人の事を名前で呼ぶほどに、しっかり目に留め、知っておられます。

私たちの人生には色々なことが起こります。良いことばかりではなく、不幸と思えることも起こります。しかし、私達がどう感じるかとは別に、神様は貴方を愛しておられます。

神様は、その独り子を貴方のために十字架に付ける程、貴方を愛しておられると、聖書は語っているからです。

本当の羊飼いなら、先頭に立って、羊にとって危険な場所を避け、良い牧草地に導きます。神様はそのように、本物の命に、貴方を導こうとされているのです。私たちはこの真の羊飼いの声を聞き分け、真の羊飼いについて行けばよいのです。この真の羊飼いの名前を、イエス・キリストと聖書は記しています。イエス・キリストはあなたのために御自分の命を捨ててくださった、神の御子である、真の羊飼いです。

そして、ご自分という門を通って、私たちを永遠の囲いに導いてくださいます。イエス・キリストは御自身が門であることを語っておられます。

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。

イエス・キリストを通って入る者は救われるのです。

イエス・キリストは貴方のために、御自身の命を捨ててくださいました。神の御子イエス・キリストが十字架で流された血の代価によって、貴方の罪は赦されるのです。あなたは、このイエス・キリストの前に、ひざまずき、神様からの和解と、神様からの救いを受ければよいのです。

イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりに御自身を献げてくださったことによって、わたしたちは、赦され、イエス・キリストを通して、永遠の命、神様との交わりの回復が与えられるのです。

イエス・キリストを通して与えられる命は、豊かな、尽きない、永遠の命です。このイエス・キリストという真の羊飼いに養われましょう。

どうか、ラジオをお聞きの貴方が、今日イエス・キリストの与えられる永遠の命に与(あずか)られますように。心より、お祈り申し上げます。

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