父親の眼差し

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聖書の言葉

主よ、呼び求めるわたしの声を聞き

憐れんで、わたしに答えてください。

心よ、主はお前に言われる

「わたしの顔を尋ね求めよ」と。

主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。

御顔を隠すことなく、怒ることなく

あなたの僕を退けないでください。

あなたはわたしの助け。

救いの神よ、わたしを離れないでください

見捨てないでください。

父母はわたしを見捨てようとも

主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。

旧約聖書 詩編 27編7~10節

山中恵一によるメッセージ

父親の眼差しというシリーズで、これまでに何度か、お話をさせてもらいました。今回も、また、新米お父さんの目線から、聖書の恵みをお伝えしたいと思っています。昨年に生まれた我が家の長男も、もう9カ月になりました。色々と反応を示すようになってきて、その様子がなんとも可愛らしいです。こちらも、いろんなことをして子供の気を引こうと考えます。「いない、いない、ばあ!」なんていうのは、その代表格ですね。両手で隠れた顔が、「ばあ!」といって再び現れる。それだけで、赤ちゃんはキャッキャと大喜びです。お金も一切かからず、とてもリーズナブルな遊びで、親としては大助かりです。

しかし、不思議ですね。なんで、顔が出て来ただけで、あんなにも喜ぶことができるのか。ネットで、少し調べてみると、発達心理学の視点からの解説がチラホラと目に付きました。なんでも、赤ちゃんは生後半年くらいまでは、目に見えるものだけがすべて、という世界観だそうで、それが、次第に、「目に見えない時にも、そこにモノがあるんだ」ということを学習していくんだそうです。この時期に夢中になるのが「いないないばあ」です。「いない、いない・・・」と言って、顔が見えなくなると、赤ちゃんは予測するんですね。「見えなくなったけど、そこにいるはずだ!」そして、「ばあ!」と言って、顔が現れる。予感していたことが実現する。赤ちゃんはそれが嬉しくて、あんなにも喜ぶんだそうです。とはいっても、まだ、発達途中なので、見えない時間が長すぎたり、全体が見えなくなってしまうと、やっぱり不安になってしまいます。今、ウチの子は、そうやって「見えなくても、そこにある」ということを学んでいるのだそうです。

神様がいなくなってしまった。そう感じることが人生のなかにはあるかもしれません。運命に見離されたなんていう言葉がありますが、苦しい事、辛い事に遭遇して、人生を左右する大きな力に見離されているように感じることがあります。聖書では、苦しみや困難の中で不安を覚えるときの心情を「神様が顔を隠された」と表現します。目の前の困難に遮られて、神様が見えなくなる。わからなくなる。というんですね。お読みした詩編27篇の信仰者は、「苦難で神様が見えなくてなっても、それでも、神様はいらっしゃる」そう信じることのできる人でした。赤ちゃんが、たとえ、目の前からお父さんの顔が見えなくなってしまっても、「お父さんは、いなくなってしまったわけではない。そこに、絶対にいるはずだ!」と心に予期するように、この信仰者も、「苦しみの向こう側には、絶対に神様がおられるはずだ!」そう信じることができました。

この信仰者は、神様が顔を隠された理由が、自分にあるんじゃないかという不安を持っていました。自分が悪い事をしたので、怒っておられるのではないか?嫌われてしまったのではないだろうか?この人には、そんな負い目と不安があるんですけれど、しかし、同時に、「神様が自分を見捨てるなんてことは絶対にない。そこに確かにいてくださるはずだ!」こういう信頼の念も失いません。なぜなら、この人にとって神様とは、自分を救ってくださる御方、だからです。神様が自分を救おうとされるその思いは、肉親を超えるほどにゆるぎないものである、とこの人は知っていました。この困難の先で、私を愛して下さっている神様と再び顔を合わせることができる、そう彼は信じたんですね。

見えなくなった顔が、再び目の前に現れた時の、子供の安心した笑顔。それは親にとって心地よい顔です。私は、遊び心で子供から顔を隠しましすが、神様はそんなことはされません。私たちの不安な顔なんて、本当は見たくないんですね。だから、私たちが笑顔を取り戻すことができるように、「私の顔を尋ね求めよ」と言って、私たちに訴えかけてきてくださいます。

ラジオをお聞きの方の中にも、苦しいこと、辛いことによって、神様の存在が分からなくなっておられる方がいらっしゃるかもしれません。運命から見捨てられているんじゃないか、神様なんて遠く離れた自分には関係のない存在じゃないか。そう思いつめておられる方がいらっしゃるかもいしれません。神様はいます。それもあなたを助ける救いの神さまが、その困難の先で、あなたと出会うことを心待ちにしておられます。主は、あなたに言われます。「わたしの顔を尋ね求めよ」。始まる新しい1週間。困難の向こう側で、神様の御顔を味わい知ることができますよう、心からお祈り致します。

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