悔い改めからはじまる人生

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聖書の言葉

ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

新約聖書 ルカによる福音書 13章1~5節

牧野信成によるメッセージ

信仰による新しい人生の出発は悔い改めから始まります。今までの自分の人生を振り返って、改めて方向を見定めで一歩踏み出すことです。神が聖書から私たちにそう促しておられます。これを聞き流してしまえば時機を逃してしまいます。今、真剣に自分自身と世の中の問題に取り組むのであれば、ここは立ち止まって、イエスの言葉に耳を傾けてください。

二つの事件が今日の箇所に記されています。「ピラトがガリラヤ人の血を生け贄に混ぜた」という出来事は、時の為政者であるローマ人の手によってガリラヤの民衆が迫害を受けて殺された事件です。もう一つは、シロアムという場所に建てられた塔が倒壊して18人が下敷きになって死んだという事故です。こういう犯罪や事故による不慮の出来事が新聞記事のように伝えられています。おそらく、こうしたニュースを聞いた人々は、今日の私たちのように、それを聴いたときは心を痛めたかも知れませんが、所詮は他人事としてやがて忘れてしまいます。また、そうして死んだ人たちには天罰が下ったのだと心の底で思ったかも知れません。しかし、イエスは、こうした事件をとりあげて、それを自分のこととして思うように諭されます。他人事ではなくて自分にも同じ運命が待っているということを真剣に考えなくてはならない。3・11の津波によって多数の犠牲者が出たことを私たちはまだ覚えています。それが一体、どのような神の御旨だったのか問い返すこともあろうかと思います。しかし、あの災害は他人事だったのではなくて、あなたのこととして考えてみなさい、とイエスは促します。福島の原発事故によって放射能に汚染され、大勢の方が故郷を捨てました。どうしてそのようなことになったのだろうと、災害にあった方々の運命を人は云々するかも知れませんが、イエスは、それは他人事ではない、と言います。

事故であるか、犯罪であるか、災害であるかに関わらず、それらが悲惨なこととして報道される一方で、実に誰もが同じように死と隣り合わせに生きていることをそこから知らされます。事故や災害は悲惨です。しかし、私たちの誰もがそうした悲惨な死に向かっているわけです。確かに、家族に看取られて静かに世を去る仕方が理想的な死の迎え方かも知れません。しかし、死に方がいかようであろうとも、人間の罪は命を滅びに定めています。「あなたがたも悔い改めなければ皆同じように滅びる」とイエスが言われる通りです。

風のそよぎにも似た世の中の一つ一つの事件を通して、私たちは今日の時代を見分けます。一人の人の自暴自棄によって多数の人の命が失われるような時代です。世の中のお荷物と看做された人々の命が粗末に扱われる時代です。ナチスの強制収容所と少しも変わらないような差別意識が世の中に根深く残っています。たとえそのようなところで、自分は何も関係がないかのように穏やかな人生の終わりを迎えても、行き着くところは滅びだ、と神の裁きは厳然としています。

滅び行くこの世界から逃れる道は悔い改めです。「悔い改める」ということは、人間の罪深さを深く悟って神に救いを求めることです。イエスによれば、私たちは丁度、裁判に訴えられて法廷に連れて行かれる途中にある人のようです。そこで、裁判が始まる前に和解が成立すれば裁きは回避できますが、自分が訴えられていることすら気にかけない様子であれば、裁きは必定です。だから、「何が正しいかを、自分で判断して」神との和解を求めて悔い改めなさいとイエスは促します。

悔い改めは、すべての人に求められている人生の転換点です。犯罪に巻き込まれて死ぬことが悲惨なのではありません。悲惨なのは犯罪が起こるこの世の中そのものです。そして、死を免れることのできない人間の定めです。しかし、悔い改めることによって人生は変わります。聖書は真の神を私たちに伝えています。そして、イエス・キリストが私の人生にかけられた罪の呪いを取り去って神のもとに導いてくれる、救いの道を示しています。悔い改めることは、こうして、イエス・キリストによる救いを信じて、真実な命の道を歩み始めることです。もとより聖書では「悔い改める」という言葉は「向きを変える」という語です。よく、自分自身を信じる、と言います。ドラマの主人公の決め台詞です。しかし、大抵、そのような確信には根拠がないことを皆知っています。多くの人は、「あいまいな私」を生きていて、自分の人生を他の誰かに委ねてしまっています。自分に確信がないから誰かを頼らざるを得ないのが人間ですけれども、そこで頼るならば神を頼るのが正しい道だと聖書が教えてくれます。そして、世界も、またそこに生かされている自分も滅びないで済むように、未来に向かうことのできる方向も聖書から与えられます。

私たちの命の行方は神が握っておられます。人は世の中の動きについても、自分の人生の行く先についても、自分の思うままに動かすことはできません。しかし、神が私たちに示してくれたイエス・キリストを正しい導き手として、自分に与えられた生涯を全うするならば、たとえどんな終わりが私たちに待ち受けていようと、私たちは正しい終着点にたどり着くことができます。それが、聖書が私たちに教えてくれる最高の知恵であり、揺るがない人生観です。これを聞いている皆さんが、神に向かって、真の幸福に向かって新しい出発をされることを心から願います。

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