父親の眼差し

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聖書の言葉

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。

旧約聖書 イザヤ書 49章15節

山中恵一によるメッセージ

今日も、先週に引き続き、「父親の眼差し」というテーマでお話をしたいと思います。2015年9月に長男が与えられました。予定日よりも、だいぶ早く産まれたため、生まれた時の体重は2300グラムほどでした。それから、順調に成長が守られまして、今は6500グラムほどにまで大きくなっています。目に入れても痛くないほど可愛いなんて言葉がありますが、さすがに、ちょっと目には入らない大きさですね。それでも、まぁ、可愛いものです。子育ての先輩達から、「自分の子供は特別だ」なんていう言葉を聞いてきましたけど、「本当にそうだなぁ」とシミジミ思います。

不思議ですね。ウチの子以上に、顔の均整の取れているお子さんは世の中にたくさんいます。まぁ、ウチの子もイイ線いってるとは思いますよ。でも、可愛らしい子は、世の中に溢れるほどいます。しかし、そうした雑誌モデルのようなお子さんたちを差し置いて、ウチの鼻たれ坊主が一番なんですね。その審査基準は、単純に自分の子供かどうか、それだけです。それだけの違いなんですけど、「自分の子供であるのか?そうでないのか?」この差というのが、極めて大きい。彼が、この駆け出しお父さんの特別で、えこひいきな愛情を受けられるかどうか、それは、「私の子供かどうか?」ということに掛かっているわけです。

聖書は、「神様から救われるとは、神様の子供として頂ける、ということである」と教えています。人間の父親が子供を特別に可愛がるように、神様もまた、ご自分が救って、我が子とした者たちに格別な愛を注がれます。神様は、その特別な思いを表現するために、おっぱいをあげるお母さんの姿を引き合いに出されました。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。」

母親が子供にミルクをあげる姿。これは、もう、男には太刀打ちできない、女性ならではの素晴らしい姿であると思います。他の病院では知りませんが、ウチの場合、新生児期には3時間おきに子供におっぱいをあげるように指導をされたそうです。新生児期の赤ちゃんは、おっぱいを飲むのに時間がかかります。30分くらいかけて、ゆっくりおっぱいを飲むんですね。それから、これもウチの場合ですけれど、記録を付けたり、自分のケアをしたりで、さらに40分くらいの時間を授乳のために取られます。子供が直ぐに寝付けばイイですが、泣きだしたりすると、子守でさらに時間が取られます。母親は、3時間毎に1時間半近くの時間を子供に費やします。自分がこれまでしてきた人付き合いの中で、3時間毎に1時間半、相手のために尾お世話をして付きっきりになるなんて人は、一人もいません。母親にとって子供が特別というのは、ただ、気持ちの問題ではなくて、本当に特別な仕方で、行動を以って愛を注ぐ、目に入れても痛くない存在なのだと思います。

神様は、母親が子供に向ける愛情が、この上ないほど特別であることを語られた上で、私たちを思う特別な思いは、それ以上に強いということをおっしゃられました。「たとえ女が忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」実際に、ウチの妻が息子を忘れるということはないことだと思いますけれど、神様は忘れないと言うんですね。子供が、どれだけ無愛想に育ったとしても、どれだけ不器用で、悪い性格に育ったとしても、神様は、ご自分が救って、子供にする者たちを決して忘れないのだ、と神様はこう言われます。母親の愛情ですら、私には想像することしかできないものです。神様が、私たちを特別視されるそのひいき目たるや、それは想像もつかない深い愛の眼差しです。神様は誰にでも、このような態度を取られるわけではありません。この愛は、自分の子供とした者達。あるいは、これから、自分の子供になる者達への特別な、我が子となる者にしか注がれない、特別性の愛です。

父なる神様と私たちはお呼びしますけれども、この神様は、母親を超える愛をもって私たちを捕え続けてくださいます。ぜひ、教会にお越しくださり、この神様の深い愛を味わっていただけたらと思います。

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