天国に入れる命とは

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聖書の言葉

ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。

新約聖書 ルカによる福音書 18章18~23節

大野桂一によるメッセージ

イエスさまの時代、ユダヤの最高議会は、政治だけでなく宗教のことも司る最高機関でした。ですから宗教の指導者でもある議員たちは、イエスを貶めようと様々な議論を吹っかけてきました。が、本日の議員は、自分の心の悩みを正直に素直にイエスさまのもとに求めに来ました。自分は神の掟をきちんと守ってきたけれども、永遠の命の確信がなく、イエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことが出来るでしょうか」と尋ねました。

ここで永遠の命とは、エンドレスに永遠に続く命と言うより、この世にあっても、かの世にあっても、神と交わりに生きる命、神のおられる天国に入れる命と考えてよいでしょう。

イエスは「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」と言われると、議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました。」と答えました。この議員は人間的な基準で、これらの掟は子供の時から、真面目に守ってきたと思っていました。

例えば姦淫するなという掟は、人間的な基準では、実際に姦淫しなければ、罪にはなりません。でも姦淫も盗みも、先に心にその思いがあり、その思いが実行されるのです。

絶対的に聖く正しい神の基準から見ると、姦淫の思いを抱いただけで罪です。殺してやりたい、盗みたいと思っただけで、罪を犯していることになります。

神は天地全てを創られた方で、神が最初に人を創られた時、神に似せて創る為に、神は人にだけ御自身の息を、即ち魂を吹き込み、人を神との交わりに生きる者として創造されました。残念ながら最初の人が、神の命令を破り、肉体も魂も神の形が崩れて、人は神との交わりが出来ない者となりました。生まれながらすべての人は神と交わりのない罪人なのです。

議員が、子供の時から神の掟をきちんと守っていると思っているので、完全で無いことを彼に気付かせる為に、イエスは言われた。あなたには欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。

先ほどイエスの言われた『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』は、十戒と言う神の掟の後半の、人間関係に対する戒めです。イエスはこれらの掟を纏めて「自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。」と教えられています。この自分自身を愛するように隣人を愛する戒めを守っているのであれば、この議員は、自分の持ち物をすべて売り払って、貧しい人たちに与えることは出来る筈です。しかし、大金持ちの彼は、それが出来ませんでした。

私たちは、金持ちでなくとも自分が営々と働き、やっと得た自分の財産をすべて手放すことは、ほとんどの人にとって無理なのではないでしょうか。残念ながら私も、これからの自分の家族や老後の事を考えると出来ません。

ここで、イエスが言われていることは、財産を総て放棄しなければ救われないとか、天国に入ることが出来ないと言っておられるのではありません。

若し、私たちが財産を総て放棄すれば、神との交わりを回復して天国に入れるのであれば、私たちは財産を放棄するという自分の業によって救われることになります。現実には私たちの弱さ、自分中心のエゴの罪は深刻で、自分の持ち物を総て売って、貧しい人に施しても、自分の罪は残っており、救いはないのです。

私たちは自分でどのように努力しても修養しても、自分の罪を総て無くして、神と交わりうる正しさ聖さに達することは出来ず、神との交わりに生きることが出来ないのです。

罪人である私たちの救いは、神から罪を赦して頂くより他はないのです。救いは神から与えられるのです。

神は罪人である私たち人間を救う為に、独り子であるイエスをこの世に遣わし、人間の罪をすべて担わせ、十字架の上で、総ての人の罪を処分されました。

主イエスが、私たちの罪の身代わりに十字架に架かり死んで下さった故に、このイエスの十字架を信じる者は、もはや罪のない者と神は見做してくださり、この世にあっても、かの世あっても神との交わりを回復して、永遠の命、天国に入れる命を与えられるのです。

この金持ちの議員との話のすぐ前に、イエスが子供を祝福された話があります。人々がイエスに触ってもらうために、幼児や赤ん坊まで連れてきました。

当時は偉い先生に、触ってもらって、祝福してもらう習慣があったようです。

弟子たちは、何か真剣な思いでエルサレムに向かっておられるイエスの御心を察して、今はそれどころではないと思い、叱りつけました。

しかしイエスは、子供達を私のもとに来させなさい、妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決して神の国に入ることは出来ません。」と言われました。

子供は、お腹がすけば、また、おしめが濡れれば代えて欲しいと、ギャアギャアと泣いて自己主張しますが、自分自身は何も出来ません。親を全く信頼し、総てを親に任せます。親が与えるものは何でも、信頼して飲み食べます。

幼児が食べ飲みこむように、私たちは、神に対して自分が罪人で、小さき者であることに気付き、自分を低くして、神の御言葉を素直に聴き、悟り、信頼して、主イエスを受け入れることにより、この世にあっても、かの世にあっても、神との交わりに生きる命、神のおられる天国に入れる命を与えられるのです。

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